第15回 宙組20周年を祝う――誕生の思い出とともに

薮下哲司(映画・演劇評論家。元スポーツニッポン新聞社特別委員、甲南女子大学非常勤講師)

 新トップスター、真風涼帆、星風まどかが主演する宙組公演、ミュージカル・オリエント『天(そら)は赤い河のほとり』、ロマンチック・レビュー『シトラスの風――Sunrise』が3月16日から宝塚大劇場で開幕しました。新トップ披露とともに1998年に宙組が誕生して以来、今年で丸20年になるのを記念した公演です。
 宝塚歌劇はもともと16人の少女から出発したことはご存じでしょう。104年たった現在、花、月、雪、星、宙の5組に専科、宝塚音楽学校の生徒を加えて常時約500人の団員を抱えるスケールの大きな劇団に成長しました。しかも団員はすべて未婚の女性。公演回数は年間1,500回、動員数は270万人。都心から離れた2,500人収容の宝塚大劇場が平日昼間でも満員の盛況、こんな劇団は世界広しといってもここだけです。
 当初は「少女歌劇」という一つのグループでしたが、劇団が創立されて7年目の1921年に花組と月組が誕生しました。大阪公演に続く東京公演が大成功、本拠地の宝塚も年ごとに動員数が増え、プールを改造して作られたパラダイス劇場だけでは手狭になり、箕面にあった公会堂劇場を宝塚に移設して2館での上演が実現したことがきっかけで、年長メンバーを花組、年少メンバーを月組に分けて2班体制にしたのです。おとぎ歌劇が中心だった公演もバラエティーに富んだ演目が上演できるようになり、さらに人気が高まりました。
 その後、両劇場が火災で焼失し、4,000人収容(補助席、立ち見席を含む)の宝塚大劇場を建設、その開場に合わせて雪組が誕生しました。1924年のことです。
 星組ができたのは1933年。春日野八千代のための組ともいわれていますが、翌年の東京宝塚劇場オープンに合わせて創設されました。戦時色が濃くなり、レビューの公演が禁止され、大劇場閉鎖になった一時期、星組は廃止されますが、戦後、大劇場再開とともに復活しました。
 以後、長い間、4組体制で公演がおこなわれてきましたが、老朽化した東京宝塚劇場を改築することになり、宝塚歌劇の東京での通年公演が実現(それまで東京宝塚劇場での宝塚歌劇の公演は年間8カ月でした)することを前提に1998年、65年ぶりに新しい組、宙組が誕生したのです。組の歴史は宝塚の発展の歴史でもあります。
 その宙組誕生に際しては、因縁浅からぬ思い出があります。東京宝塚劇場の建て替え計画が発表された1997年初頭、宝塚の新しい組の誕生が噂され始めました。しかし、開場は2000年ということで、歌劇団内部でも新組増設には賛否両論があり、まだ懐疑的でした。一方、歌劇団は1998年1月下旬から香港が中国に返還されて1周年になるのを記念した香港公演が決まっていて、各組からメンバー60人が選抜されていました。この公演はスポーツニッポン新聞東京本社が創刊50周年を記念、スポンサーとなって主催した公演でした。スポーツニッポン新聞社は当時、大阪、東京、西部の3本社制をとっていて、それぞれ独立採算制でした。創刊50周年に宝塚歌劇のスポンサーになるというなら、本拠地に近い大阪本社がイニシアチブをとるのが自然ですが、諸事情で東京本社単独の主催となり、結局、記事発信は大阪、事業としては東京本社という形でおこなわれることになり、担当記者だった私は事前のパブや香港公演初日取材などでスタッフ同然に駆け回りました。
 香港公演の準備と並行して東京宝塚劇場の建て替え工事が始まり、歌劇団は建て替え中の代替劇場を模索していました。当初は帝国劇場を代替劇場として使用することになっていて、実際、1997年には雪組公演と星組公演を実施しています。ところがこれには莫大な金額がかかることが判明。あわてて別の劇場を探したのですがどこも一長一短でなかなか決まらず、八方手を尽くした結果、有楽町南側にあった都有地を新劇場オープンまでという条件付きで借りることができ、仮設の「1000days劇場」を建設することになりました。新大劇場オープンの3年前に、思いがけず通年公演も前倒しで実現できることになり、そこでローテーション的に4組では無理が生じ急きょ新組が必要となって、当初は新組として集められたものではなかった香港公演メンバーが、前倒し的に新組メンバーにスライドしたのでした。これが宙組誕生の真実です。
 香港公演の取材をしているこちらとしては、途中でこのメンバーが新組にスライドすることはわかっていたのですが、都有地のクリアに時間がかかっている裏事情もあったので記事化を抑えていたら、都有地の使用許可がまだ下りていないうちに他社が「宝塚新組結成」とスクープ、劇団が激怒して、その社の記者を出入り禁止にしたといういきさつもあります。その後都有地の使用許可が下りて5組化が実現したので、結果的には大スクープになったのですが、内情を知っているこちらにとっては痛しかゆしといったところでした。
 1997年12月12日、大阪市内のホテルで大々的に新組発表の記者会見がおこなわれました。新組の名前は一般公募され、約2万通の応募のなかから選ばれたのが「宙」組でした。書道家の望月美佐さんが屏風に巨大な筆で「宙」と大書したときは一瞬よくわからなかったのですが、それは出席していた初代トップスターの姿月あさとらも同じだったようです。2月19日に宝塚大劇場で開かれた「宙組20周年記念イベント」のときにも、「リハーサルのときにも聞いていなかったので本番で初めて知りました。最初にウ冠を書かれたので噂になっていた“虹”ではないなと思い“空”かと思ったのですが、“寅”に見えて、司会者が“そら”と言われたのも“とら”に聞こえ、一瞬、みんなで顔を見合わせました。すぐに“そら”とわかって、みんなで“寅”でなくてよかったとホッとしました」と話して、満員の会場を沸かせていました。姿月によると「空は空席とかで縁起がよくないので、宙になったとお聞きしました」と言い、「でも普通、“宙”を“そら”とは読まないですよね」と、当時の戸惑いを正直に話して、さらに笑いを誘っていました。とはいえその宙組も20年、その間に姿月あさと、和央ようか、貴城けい、大和悠河、大空ゆうひ(祐飛)、凰稀かなめ、朝夏まなと、そして真風と8人のトップスターを輩出、エネルギッシュでダイナミックな組というイメージが定着してきました。年月が過ぎるのは早いものです。

 6月1日に刊行予定の『宝塚イズム37』は、11月退団を発表した月組トップ娘役・愛希れいかの惜別特集をメインに、宙組20周年を記念して宙組の魅力をさまざまな視点から分析した特集も組みます。宙組愛に満ちた数々のエッセーをお楽しみください。

 

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