第9回 早霧・咲妃コンビを大特集! 内容充実の『宝塚イズム35』

薮下哲司(映画・演劇評論家。元スポーツニッポン新聞社特別委員、甲南女子大学非常勤講師)

『宝塚イズム35』が6月1日に発売されました。今回のメイン特集は、『幕末太陽傳(ルビ:ばくまつたいようでん)』東京宝塚劇場千秋楽の7月23日付で宝塚を卒業する雪組の人気トップコンビ、早霧せいなと咲妃みゆのサヨナラ特集です。
 この2人は、100周年後の2015年正月に『ルパン3世――王妃の首飾りを追え!』(雪組)で宝塚大劇場でのトップ披露を飾り、以来、退団公演までの全公演が前売りで完売という前代未聞の記録を作りました。宝塚の長い歴史のなかで、トップ在籍中の公演すべてが完売したのは初めてのことだといいます。100周年人気の余韻のなかで、話題性がある演目に恵まれたこともありますが、タカラジェンヌとしての資質に加えて、2人の舞台人としてのたゆまぬ努力のたまものが、この記録を生んだのだと思います。
 早霧の初取材のとき、宝塚音楽学校の受験のために初めて大阪に来たときの思い出を話してくれました。梅田から宝塚行きの阪急電車が8両連結だったことにびっくり。「佐世保では2両連結の電車しか見たことがなかったから、なんて都会なんだろう、と思った」というのです。好きで受験したとはいえ「こんなところで1人で生活できるのだろうか」と漠然と不安を感じたようです。遠い九州からたった1人で都会に出てきた少女の戸惑いが実感として迫り、強く印象に残っています。そんなか弱い少女が、18年後、こんな立派なトップスターになるとは誰が予想したでしょうか。
 2001年初舞台。戦時中のタカラジェンヌの苦難の歴史を描いた藤原紀香主演のテレビドラマ『愛と青春の宝塚――恋よりも生命よりも』(フジテレビ系、2002年)に、収録当時の研1生がエキストラ出演していて、同期の沙央くらまらとともに早霧の初々しい姿も見られます。当初は宙組に配属され、アイドル的な美貌とダンスの切れ味で注目されましたが、背の高い男役が多かった宙組にあって、どちらかというと埋没ぎみでした。研6のとき、和央ようか・花總まりの退団公演『NEVER SAY GOODBYE』(宙組、2006年)新人公演で初主演、ようやくエンジンがかかりました。
 その後雪組に組替えとなり、このあたりから劇団は、早霧をトップ候補として全面的に押し出していきます。しかし、このころは早霧のやる気と役の大きさがまだアンバランスで、歌唱力にも課題があり、かなり無理をしている感じがあって、見ているほうがつらかったこともありました。壮一帆トップ時代の『Shall we ダンス?』(雪組、2013―14年)の女役への挑戦から、それが抜けるように見事になくなり、あとはもうご存じのとおりです。
 サヨナラ公演の『幕末太陽傳』は、宝塚大劇場で大好評裏に上演を終え、6月16日から東京宝塚劇場での公演が始まります。幕末の品川宿を舞台に、江戸落語の『居残り佐平次』をメインに『品川心中』『三枚起請』『お見立て』といった噺を随所にちりばめた人情喜劇。1957年制作の日活映画『幕末太陽傳』(監督:川島雄三)を、小柳奈穂子が宝塚風のミュージカル・コメディとして巧みにアレンジしました。早霧が演じるのは、映画でフランキー堺が演じた佐平次。労咳(結核)を病み、死に場所を求めて品川にやってきた口八丁手八丁の佐平次が、幕末の品川に生きるバイタリティーあふれる人々の姿を見て再び生きる勇気をもらうまでを、早霧は、明るさのなかにも陰影をつけて、人間賛歌を謳い上げることに成功しています。『ルパン3世』や『るろうに剣心』(雪組、2016年)などのアニメキャラクターを宝塚の舞台で作り込んだ貴重な経験が、この舞台で見事に開花したといっていいでしょう。100周年後の新たな宝塚の男役像を築き上げてのラストステージ、『宝塚イズム』の執筆者たちも熱いメッセージを寄せてくれました。
 一方、相手役の咲妃みゆは、2010年初舞台の96期生。月組に配属後、期待の娘役として早くから大役に起用され、清純な娘役から大人の役まで演じるたびに大きく成長してきた、天性の素質をもつ宝塚の娘役の枠を超えた舞台人です。その類いまれなる歌唱力で芝居だけでなくショーでも活躍。昨年(2016年)の『Greatest HITS!』(雪組)では、マドンナの難曲「マテリアルガール」を見事に歌いこなして観客を驚かせました。サヨナラ公演の『幕末太陽傳』では、吉原から品川に流れ着き、お客をえり好みするうちに、後輩のこはるに板頭(トップ)の座を奪われてしまう相模屋の女郎おそめ役。宝塚のトップ娘役のラストステージとは思えない役どころですが、咲妃らしく、そこは品よく、はかなげに、しかし芯がある演技でラストを飾っています。早霧、咲妃という花も実もある2人だからこそ実現したファイナルステージになったのではないでしょうか。そんな2人に対する特集原稿は、退団を惜しむ声で埋め尽くされました。宝塚史上希有なトップコンビの退団に対する惜別の文章をごらんください。
 そして、早霧と咲妃については退団後の活躍も期待したいと思います。2人とも作品と運に恵まれれば、女優として大成できる可能性を十分秘めていると思います。宝塚は、月丘夢路、乙羽信子、淡島千景、新珠三千代、八千草薫、有馬稲子と、戦後すぐの映画黄金時代に娘役から多くの女優を輩出しています。このあたりの人の生の舞台はさすがに観ていませんが、ぎりぎり朝丘雪路や浜木綿子、扇千景そして淀かほるあたりはかすかに記憶があります。『風と共に去りぬ』が1966年に東宝で初めて舞台化されたとき、スカーレットが有馬稲子、メラニーを淀かほる、ベル・ワットリングは浜木綿子と、主要キャストをすべて宝塚出身女優が占め、大きな話題になったものです。
 その『風と共に去りぬ』ですが、宝塚で初演されてから今年で40年になります。今年は、宝塚が初めてレビュー『モン・パリ――吾が巴里よ』を上演して90年という節目の年にもあたり、宝塚的にはそちらのほうにスポットが当たりがちですが、ポスト『ベルサイユのばら』(1974年初演)の急先鋒として1977年に初演され大ヒット、宝塚の現在に至る隆盛の一翼を担った作品として忘れるわけにはいきません。その月組初演のスカーレットは順みつきでしたが、続演した星組のスカーレットに抜擢されたのが遥くらら。彼女は在団中に2度スカーレットを演じ、退団公演になった1984年の雪組公演でのスカーレットは歴代最高といわれる名演技でした。元毎日放送記者の宮田達夫さんがその当時の思い出をつづってくださいました。
 もちろん、レビュー90周年をことほいだ「宝塚レビューの魅力」についての論考も特集します。もともとは「お伽歌劇」から始まった宝塚がレビューを取り入れたことによって、歌劇団のコンセプトが大きく変貌しました。そのレビュー自体も、時代とともに変化する観客の嗜好に合わせて、大きく様変わりしてきています。新時代のレビューとは何か、さまざまな視点で分析します。
 ほかにも星組新トップ・紅ゆずるへの期待の小特集、今回から新たに執筆メンバーに加わってくださった宮本啓子さんのデビュー論考「宝塚に見る戦国武将」など、盛りだくさんな内容はまさにいまの宝塚をそのまま反映しています。
 そして今回の目玉の一つ、OGインタビューは元星組の北翔海莉。退団後初めて『宝塚イズム』のインタビューに応じてくれました。宝塚ファンならずとも読み応え十分。『宝塚イズム35』を全国有名書店でぜひお買い求めください!

 

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