近森高明(慶應義塾大学准教授。著者に『ベンヤミンの迷宮都市』〔世界思想社〕、共著に『夜食の文化誌』〔青弓社〕ほか)
均質化、没場所化、非-場所化、郊外化、モール化、ジェントリフィケーション、俗都市化、など――近年の都市空間に対する批評的言説の定型は、一言でいえば、「街がつまらなくなっている」ということである。チェーン店舗の増殖など、生活環境の均質化が進行し、街の個性が消えて、どこにでもある風景が広がっている。定番のテナントが並ぶショッピング・モールが隆盛する一方で、昔ながらの商店街が廃れ、かつてあった盛り場の輝きが失われている。あるいは、一見すると個性的に見える新興の街も、その「個性」は演出されたものにすぎず、記号的に飾られた表層をはがすと、その底には均質的なフォーマットが隠れている、など。
ロードサイドショップが並び、巨大な看板がそれぞれに自己主張する国道16号線(以下、16号と略記)の風景は、こうした「つまらない」都市的景観の代表格だろう。都市ともいなかともつかないその場所には、交通のフローがあり、それなりの商業施設がそろい、大体のアイテムや情報にはアクセスできる。だがしかし、都市にふさわしい輝き、都市の都市らしさ、街の街らしさが、そこには決定的に欠けている――そのように批評的言説は語るだろう。なるほど、そうかもしれない。
だが、ここで私たちは思い出すべきである。チェーン店舗やロードサイドショップが、かつてもっていた輝きとまぶしさを。それらはかつて、凡庸ではなく新鮮であり、荒廃のしるしではなく発展の予兆であり、日常への埋没ではなく、大げさにいえば「ここではないどこか」をのぞかせてくれる窓だった。
大阪南部のロードサイド
個人的な話をする。関西育ちの私にとって、そもそも2000年代以降に都市論や現代社会論の領域で浮上してきた「16号」なるキーワードは、まったくピンとくるものではなかった。だが、ロードサイドショップが並ぶ風景という描写を聞いて、なるほどあれか、と思い当たった。ただし、思い当たる「あれ」は、ひとしなみに語られる16号的な郊外の「荒々しい」「殺伐とした」風景とは、少し違う何かを含んでいた。
親が転勤族で、あちこちと動いていた(小学校だけで5つの学校に通った)私は、中学の3年間を大阪南部の貝塚市にある、とある海岸近くの場所で過ごした。あたりは田畑ばかりで、点々と宅地が並ぶ、何もないところだった。家の前に、旧国道26号線という交通量が比較的多い道路が通っていて、通学のため駅に向かうには、毎日、その道路を渡っていく必要があった。その道路は、正式には大阪府道204号堺阪南線という名称だが、地元では「旧26=キューニーロク」と呼んでいた(なお、まったくの偶然だが、戦前にはこの路線は「国道16号線」に指定されていた)。
何もない、とはいえ、目立つ建物はあった。家の近くのパチンコ屋。少し遠くに見えるラブホテル(これは私が過ごした中学の3年間に、3度名前を変えた)。そして駅に行く途中にある靴流通センター。現在の観点からは、見事なまでに「荒々しい」ロードサイドの風景と見えるかもしれないが、当時の私にとって、それは所与の環境であり、とくに違和感はなかった。むしろ靴流通センターは、その巨大さと品ぞろえの多さに目を見張らされ、驚異の的だった。
ローソン出店の衝撃
1988年、私が中学2年生のとき、近所の消費環境に革命が起きる。ローソンの出店である。それまで商店といえば、駅前の小さな文房具店や駄菓子屋しかなく、少し気が利いたものを手に入れるには、隣駅のダイエーにまで行かなければならなかった。そのような消費環境のなかでのローソンの登場は、中学生にとっては福音であり、衝撃であり、価値観の転換を引き起こす出来事だった。
雑誌、菓子、日用品と、ありとあらゆるアイテムがそろっている。駅前の小さな駄菓子屋では見たことがない種類のガムやポテトチップスがある(まるでアメリカ文化の豊かさに衝撃を受けた、戦後間もなくの子どもである)。ガラス張りで、外から中の様子がわかり、夜には煌々と蛍光灯がともっている。BGMでも最新の曲がかかっている。それは旧26の郊外を生きる私にとって、近所に出前されてきた「都市」であり、都市的なるもののミニチュア版にほかならなかった(コンビニが都市のミニチュアだという指摘は、すでに若林幹夫がおこなっている)。「ローソン」は、中学生の同級生のあいだでかっこよさの代名詞になり、夜中に友達と連れだってローソンに遊びにいき、駐車場でアメリカンドッグを食べるという行為が、最先端の、きわめて洗練された行為として私たちには認識されていた。働いている店員もどこかしら垢抜けて見えたが、これはさすがに幻想がすぎたかもしれない。
ロードサイドの殺伐
もちろん、旧26にも「殺伐とした」ロードサイドの側面がある。記憶に残っているのは、路上でひき殺された野良犬の姿である。死骸を見かけた初日には、それは姿形がはっきりとしていて、一部がぺしゃんこになり、黒々とした血の染みを道路の上に作っていた。誰も処理をしないまま、死骸は日を追うごとに形を変え、平板さを加えてゆく。駅に向かう通学路にあるので、どうしても毎日、その死骸を見ないわけにはいかない。1週間後には、ビーフジャーキーのように、かすかにそれとわかる毛と表皮が小さく、アスファルト上にこびりついていた。かつて犬だったそれは、無数のタイヤにひかれ、付着して、消え去ってしまった。このひかれた野良犬の姿は、私にとっての旧26の殺伐さを象徴している。
ロードサイドの「まぶしさ」を想起する
ともあれ、「16号」というキーワードを聞くたびに、私には中学時代を過ごした旧26がそこに重なるのだが、それは「荒々しい」「殺伐とした」風景というよりも、退屈だが所与の環境にすぎず、そのなかにローソンがまばゆい光を放っている、そういう斑状のロードサイドとして想起されてくる。
こうした見え方は、もしかすると旧26のロードサイドを、私が中学卒業とともに離れ、その時点での見え方がいわば冷凍保存された結果、現在から想起するとそのように見えるのかもしれない。もし旧26に私が住み続けていたとすれば、その連続的な変化のうちに、かつてのローソンのまぶしさが取り紛れ、忘却され、別の見え方になっていたかもしれない。いずれにせよ、「郊外化」や「非-場所化」ということで、何かがわかった気になってしまう語りの平板さ――あるいは生活環境の均質化という、それ自体が均質的な語りの「つまらなさ」――を批判的に留保しながら、「16号的なるもの」の豊かな多面性を語ろうとするなら、私たちはまず、こうしたチェーン店舗やロードサイドショップがかつてもっていた、ある種の「まぶしさ」を想起する必要があるのではないだろうか。
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