空論・謬見を正す20年間の調査の成果――『ロバート・キャパの謎――『崩れ落ちる兵士』の真実を追う』を書いて

吉岡栄二郎

 いつかロバート・キャパの『崩れ落ちる兵士』についての真相を書かなければならない、と思っていた。
 無鉄砲な20歳代に進めていた5,000メートル級の山登りと、熱砂のタクラマカンの砂漠を渡って遺跡を調査するという探検家のような生活からも足を洗い、30代になるとある美術館から新たな写真部門を構築するというプロジェクトを任されることになった。この写真史コレクション収集のひとつとして集めたのが「ロバート・キャパ・コレクション」だった。
 キャパの作品は弟のコーネル・キャパが管理していたために市場に出ることはほとんどなかった。そんななか、第2次世界大戦当時にキャパが撮影して通信社に送って新聞に掲載された写真が、偶然にオークションで高値で売買されることがあった。例えば、代表作「Dデー」などは100万円が相場とされるほど高価だった。
 美術館は収集したキャパの作品を構成し20回以上の「キャパ展」をおこなった。最初におこなった東京・日本橋の三越美術館では、鑑賞者が7階の会場から各階の階段つたいに列をなし、最後尾は地下1階の地下鉄の改札口という盛況だった。
「キャパ展」の場合、入場者数の合計はおよそ5万人と予想していた。この人数は大きな野球場のドームがいっぱいになるほどだが、ドーム球場で見る満員の客と同じくらいの数の人たちが展覧会場に来ていただいていたのかと思うと、感慨深いものがあった。2000年の「ロバート・キャパ賞展」は全国11会場で開催したが、その際の入場者数は55万人に達した。それよりも、このときは世界中に散っている受賞写真家と連絡をとって作品を集めるのが至難だった。特にアフリカ国内で内戦が多く、シェラレオーネ、ナイジェリアの紛争地帯の最前線と電話とメールまたは電報で連絡をとるという作業を24時間続けた。シェラレオーネで取材を続ける女性報道カメラマンから「電話がある次の村には3日後に着くから」という連絡が入っていた、というような悪条件だった。
 そんななか、2013年に横浜美術館ではロバート・キャパ生誕100年を記念する「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー二人の写真家」展(主催:横浜美術館・朝日新聞社)が始まった。それに合わせて月刊「文藝春秋」2013年新年特別号(文藝春秋)誌上では作家の沢木耕太郎氏が「キャパの十字架」と題して300枚以上の原稿でロバート・キャパに対する新たな推理を発表した。
「ここに1枚の写真がある」から始まる本文の中心課題は、「『崩れ落ちる兵士』は、撃たれてもいない、死んでもいない――。1人の兵士が足を滑らせて転んだ瞬間だ。それはゲルダ・タローによって写された」という結論を述べていたことだ。以前から沢木氏は「キャパの『崩れ落ちる兵士』は演出されたものではないだろうか」という意見を論じていた。
 しかし、今回は「その兵士は滑って転んだ一瞬の写真だった」という空想好きな少年が描くような驚くべき推論を展開していた。この考えはNHKの特別番組『NHKスぺシャル』でも放送され、非常に多くの反響を呼んだ。その多くは「近頃にない、とてもおもしろい番組だった」という声だった。しかし、そこには、「キャパの作品は“ヤラセ”だった」「“盗作”だった」としか伝わらないこと、それによってキャパの全人格、作品までもが全否定されるという危険性を孕んでいた。
 ここで、私にできることは沢木氏の立論を作られた話として全く無視するか、徹底的に間違いを指摘するかのいずれかだった。しかし私は、この機会に、20年間にわたって考えてきた『崩れ落ちる兵士』の真相を書き起こすことを決めた。
 スペイン、ニューヨーク、パリへは普段の美術館の調査で出かけていたことから基礎的な情報は得ることができた。だが、海外の研究者によるキャパの研究はこの間にも相当な勢いで進み、新たな資料の収集に手間がかかった。本書の最終校正の段階でドイツから入手した資料によって、ゲルダ・タローが使っていたカメラはそれまでローライ・フレックスと思われていたものが、実は同時代のレフレックス・コレレというカメラだったことがわかったこともそのひとつだ。このため、本文中に「ローライ・フレックス」と表示していた十数カ所を書き換えるという作業も冷や汗をかきながらおこなった。
 もうひとつ、『崩れ落ちる兵士』を理解するためには、この写真が撮られた1930年代という時代が、現在のような客観的な報道という姿が作られる前の20世紀初頭のジャーナリズムの形だったということを理解しておかなければならない。つまり、この時期の記者とカメラマンの多くは、自分が支援するイデオロギー、党派に属するメディアの新聞・雑誌のために活動していたのである。それは、大きな2つの世界大戦の狭間で生き抜くためには当然のことだった。キャパが描き出した『崩れ落ちる兵士』はその最たるものだった。ユダヤ人を死に追い詰めるファシスト、アドルフ・ヒトラーの悪を国際的に知らしめる必要があったからだ。
 この時代背景をこそ、本書の読者は理解して読んでいただきたい。