ドリームライフから「クナッパーツブッシュ・スペシャル・ボックス」という2枚組み(RIPD-0002)が発売された。クナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィル、曲目はハイドンの『交響曲第88番「V字」』、R・シュトラウスの交響詩『死と変容』、ブラームスの『交響曲第3番』、そしてワーグナーの『ジークフリート牧歌』である。ワーグナー以外は1958年11月8、9日、ウィーンでの、そしてワーグナーは49年8月30日、ザルツブルク音楽祭でのそれぞれライヴである。
2枚組みとはいえ、このセットにはCD-ROMもついていて、そこにはプログラムや写真などの図版が数多く所蔵されているため、実質的には3枚組みと言ってもいいだろう。解説書も充実しているので、なかなかの力作と言える。
ところが、このセットを手に取ってみると、不思議に思うことがある。それは『ジークフリート牧歌』に「ステレオ」と表示されていることだ。ドリームライフのホームページを見ると、そこには「実験的なステレオ」とある。しかし、このセットには単に「ステレオ」と表示されているだけで、どういう意味での実験的なものなのかに関する説明は全くない。実験的ということは、1949年のザルツブルク音楽祭でステレオ録音がおこなわれていた、と誰もが思うはずだ。
商業用の最初のステレオ録音は1955年におこなわれている。これ以前にもステレオ録音はおこなわれていたが、一般的に最古のものとしては第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが開発したとされるものが有名である。このステレオ収録については一部の文献にも記されていたが、比較的最近になってカラヤン指揮のブルックナー『交響曲第8番』(ただし、第4楽章だけ)、ギーゼキングが弾いたベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第5番「皇帝」』という実物がすでにLP・CD化されている。さらには、トスカニーニのファイナル・コンサート(1954年)も実験的なステレオとして有名であり、このCDも現在入手可能である。
しかしながら、1949年のザルツブルク音楽祭でステレオ録音がおこなわれていたというのは全く初耳である。ヨーロッパで放送録音が実用化されたのは60年代に入ってからである。そういうことを考えると、この49年のステレオ録音は、録音史上でもちょっとした事件だろう。
こうした放送用録音のステレオ騒動と言えば、何と言っても1950年春の、フルトヴェングラーがミラノ・スカラ座に客演した際のワーグナーの『ニーベルングの指環』が有名である。イタリア・チェトラから83年に発売されたこの全曲盤は、当初「オリジナル・ステレオ」と発表され、センセーションを巻き起こした。ところが、LPにカッティングされた音はまぎれもなくモノーラルで、情報の訂正にレコード会社、レコード店は奔走した。なぜこのような間違いが起きたか? それはチェトラのカタログに「2チャンネル・レコーディング」と記されていたことがその発端だったようだ。この表示があるLPレコードはほかにもフルトヴェングラーがザルツブルク音楽祭で指揮したウェーバーの『魔弾の射手』、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』などがあったが、それらはいずれもモノーラルのカッティングだった。また、CD時代になって『魔弾の射手』には“ステレオ”と表示されたものも複数のレーベルから出たが、これらもすべて本物のステレオではなく、加工された疑似ステレオであることが判明している(この疑似ステレオの音そのものは意外にいいと思う)。
いずれにせよ、ザルツブルク音楽祭でステレオ録音がおこなわれたのではないかという未確認情報が以前からあったのは事実だ。そうなると、この『ジークフリート牧歌』が初めての実例であってもおかしくはない。でも、出てきた音を聴いてみると、ちょっと首をかしげたくなる。教会で録音したような、ものすごく長い残響がある。「レコード芸術」2009年3月号に誰かが「ザルツブルクの旧祝祭劇場がこんなに残響があるのは不自然」というようなことを書いていたが、確かにこれはいくら何でも不自然である。まあ、その残響は聴きやすく付け加えたと解釈しても、方向感覚や各パートの定位などが全く聴きとれないし、音は一点から出ているようにしか思えない。これは明らかにモノーラルを疑似ステレオ化したものだろう。
しかし、疑似ステレオであってもステレオはステレオである。でも、この場合は誰もがその当時におこなわれたステレオ録音だと思うだろう。ドリームライフのホームページ上では「実験的」と書いてはあるものの、「“当時の”実験的なステレオ」とはなっていない。現代の技術を駆使して加工しても実験的なステレオであることに変わりはなく、ホームページでの表記は虚偽とまでは言えない。けれども、この場合は非常に誤解を招きやすいものであるのは間違いない。それに、もしもオリジナル・ステレオであれば、その経緯に関して多少なりとも記述があってしかるべきだと思う。
この『ジークフリート牧歌』は、いわばオマケである。本編の1958年の公演について少し触れておこう。演奏そのものは過去に出ていたもので、初出ではないようだ。音質はちょっと聴くと鮮明だが、しばらく聴いていると弱音と強音の差があまりないことに気づく。それに第1ヴァイオリンと木管楽器が異様にマイクに近く、金管楽器や打楽器は逆に遠いので、演奏の全体像がいささか把握しにくい。このセット、資料的な点を考慮すれば、熱狂的なクナ・ファン向け、といったところだろうか。
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