第31回 轟悠退団の衝撃

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 昨年来のコロナ禍は一年たってもまだまだ沈静化する様子はありませんが、感染拡大防止策を徹底するなかでさまざまな活動が再開され、社会全体がずいぶん落ち着いてきた印象。コロナ禍の宝塚を総括した『宝塚イズム42』を1月に刊行、次号の『宝塚イズム43』刊行の7月ごろには東西の行き来ももう少し楽になればと願うきょうこのごろです。
 宝塚歌劇団も、感染拡大防止に最大の神経を使いながら徐々に正常な状態に戻りつつあります。宝塚大劇場では4月の花組公演からオーケストラの生演奏が再開、5月の月組公演からはこれまで受け付けを中止していた団体の申し込みも再開し、ほぼ通常の形態になろうとしています。とはいえ、まだまだ油断は禁物。
 そんななか、3月に入って、この20年間、トップ・オブ・トップスとして君臨してきた専科のスター・轟悠が、今年(2021年)10月1日をもって退団することがわかりました。昨年9月に宝塚きっての舞姫だった専科の松本悠里が退団を発表し1月に退団したばかりのタイミングでの発表は、ファンだけでなく関係者にも大きな衝撃をもって迎えられました。
 轟は、1997年から2002年まで雪組のトップスターを務め、その後専科入りし、トップ・オブ・トップスという特別待遇で文字どおり宝塚を代表するスターとして、今日まで男役一筋で活躍してきました。雪組時代に演じた『エリザベート』初演(1996年)のルキーニ、雪組トップ時代の『凱旋門』(2001年)のラヴィック、トップ時代と専科時代を通じて何度も演じた『風と共に去りぬ』のレット・バトラーなど、豪快ななかにも繊細な心理の表現は誰にもまねができないものがあり、近年も『For the people ――リンカーン 自由を求めた男』(花組、2016年)、『ドクトル・ジバゴ』(星組、2018年)、『チェ・ゲバラ』(月組、2019年)と轟でなければ宝塚では上演できなかったであろう作品群に主演して存在感を強めていただけに、退団の発表は誰もが青天の霹靂でした。
 宝塚歌劇団は、トップスターになれば数年後に退団して次世代につなぐというのが通常パターンで、トップを極めた後、専科に残って活躍するという例は、宝塚の至宝といわれた天津乙女や春日野八千代を除くときわめてまれなケースです。『ベルサイユのばら』初演(1974年)でオスカルを演じて人気となり『ベルばら』四天王といわれた榛名由梨が月組でトップになり、その後専科入りしたものの数年で退団しています。轟がトップを退いて専科入りしたのは、歌劇団が2014年に100周年を迎えるにあたって歌劇団を代表するスターとして轟に白羽の矢を立て「春日野八千代のような存在に」と残留を要請、宝塚を愛し、男役を愛した轟がこれを受ける決意を固めたからです。
 残留にあたって歌劇団と轟の間にどんな条件が交わされたのかはつまびらかではありませんが、その後の轟の活躍ぶりからみると、年1回の各組への別格扱いでの特別出演や外部劇場での主演公演、ディナーショーの開催などが確約されたと思われます。轟の各組への特別出演は原則的に新トップスターのお披露目公演の次の公演で、2003年の春野寿美礼トップ時代の花組公演『野風の笛』を皮切りに、雪組『青い鳥を捜して』(2004年)、星組『長崎しぐれ坂』(2005年)、月組『暁のローマ』(2006年)、宙組『黎明(れいめい)の風』(2008年)と各組を一巡しました。その後も、雪組『風の錦絵』(2009年)にゲスト出演、100周年の14年には星組『The Lost Glory――美しき幻影』に続いて18年の雪組『凱旋門』に主演しています。
 そのほかにも『風と共に去りぬ』はじめ数々の外箱公演に主演、宝塚の男役の手本として、後輩の道標的存在になってきました。毎年暮れに各組のスターが勢ぞろいして開催される『タカラヅカスペシャル』では常に中央に君臨、各組のトップスターのまとめ役でした。「春日野八千代のような存在」に限りなく近づく「雲の上の存在」になっていきました。
 昨年はコロナ禍で公演が中止や延期になり、暮れに予定していた『タカラヅカスペシャル』も中止になってしまいました。とはいえ、暮れには延期されていた轟主演の星組公演『シラノ・ド・ベルジュラック』公演が実現、年明け2月には同期生の真琴つばさ、愛華みれ、稔幸を迎えての4人のコンサートが宝塚ホテルで開催されるなど、活躍ぶりが伝えられていた矢先の退団発表でした。
 3月18日におこなわれた退団会見で轟は「昨年9月ごろに退団の意思を固めた」と明言しましたが、実際はそれよりも前、劇団の理事を退任、特別顧問に就任したというニュースがあったころから何らかの動きがあったのではないかと考えられます。その後のコロナ騒ぎですっかり隠れてしまいましたが、ここ数年12月を飾ってきたスターカレンダーの2021年版から轟の姿が消えたことがその証明でしょう。
 いずれにしても、春日野同様、宝塚に骨をうずめる覚悟だと誰もが思っていた轟の退団は、ファンにとってもなんともいえない喪失感なのではないでしょうか。下級生のころは舞台でもオフでもずいぶん突っ張っていた印象があり、それはトップになったころに頂点に達し、なにか近寄りがたいオーラがありました。しかし専科になってからは、周囲を見る目が穏やかになり、演技も円熟味を増し、名実ともに宝塚を代表する存在になったと思います。
 思い出深い役は数多くあります。初期のころでは『JFK』(雪組、1995年)のキング牧師や『アナジ』(雪組、1996年)のアナジがありますが、やはりなんといっても『エリザベート』初演のルキーニでしょう。「キッチュ」の独特のハスキーな歌声はいまも耳について離れません。近年では『リンカーン』『ドクトル・ジバゴ』『チェ・ゲバラ』と続く原田諒とのコンビ作で、原田のリアリズム演出に轟が究極の男役演技で応えたことで宝塚の男役像そのものの幅を広げたことは大きな功績になったと思います。そして、この成果が昨年暮れの『シラノ・ド・ベルジュラック』のシラノ役で男役の完成形につながっていったのだと思います。
 轟の退団が今後の宝塚歌劇団にどんな影響をもたらすのかはまだわかりませんが、宝塚の一つの流れが変わる節目になるのは間違いありません。『宝塚イズム43』は、轟を筆頭に月組トップコンビの珠城りょう、美園さくら、そして花組の華優希という4人の退団者に対する惜別のメッセージがメイン特集です。雪組のトップコンビも交代、宝塚は大きく様変わりするなか、今後の宝塚の動向を占う興味深い論考が期待できそうです。刊行はもう少し先ですが、楽しみにお待ちください。

 

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第30回 雪組トップ、望海風斗・真彩希帆のサヨナラ公演開幕! そして、正月演目に思う

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 コロナ禍のなか一カ月遅れで完成にこぎつけた『宝塚イズム42』が年明けに刊行され、おかげさまで読者からの反響も上々で苦労が報われた思いです。怒涛の2020年宝塚歌劇を振り返る特集は、予想だにしなかった現実に直面した書き手の宝塚歌劇への熱い思いが詰まっていて、いつも以上に読み応えがありました。読者のみなさんはいかがでしたでしょうか。忌憚のないご感想をお待ちしています。
 さて2021年も早くも一カ月が過ぎようとしていますが、第3波の感染拡大はとどまるところを知らずまだまだ先行きは不透明。劇場街が再び閉鎖という事態にいつ陥ってもおかしくない状況が続いています。ただ、演者も含めた作り手も観客側も、この異常事態の処し方に慣れてきたみたいなところが見受けられ、決められた予防対策を守りながら前向きに行動していこうという姿勢が大勢を占めていることは、表現の自由を守るという意味でも大いに結構なことだと思います。それが危険と表裏一体ということを肝に銘じなければいけないのは自明なのですが。
 そんななか、宝塚大劇場では元日から望海風斗、真彩希帆の雪組トップコンビのサヨナラ公演が開幕しました。もともとは昨年(2020年)7月に上演されるはずの公演が半年遅れでようやく実現、オーケストラの生演奏再開はまだ実現していませんが、チケットは通常どおりの販売で、連日満席の人気に沸いています。演目はミュージカル・シンフォニア『fff――フォルティッシッシモ』(作・演出:上田久美子)とレビュー・アラベスク『シルクロード――盗賊と宝石』(作・演出:生田大和)の二本立て。次代の宝塚歌劇を担うであろう2人の実力派演出家の競作になりましたが、いずれも従来の宝塚の枠を超えたレベルが高い異色作で、宝塚の未来を象徴する2本になりました。望海と真彩という強力なコンビがいたからこそ実現した作品だともいえますが、正月気分の軽い気持ちで観劇したファンは、いい意味でも悪い意味でも、頭から水をぶっかけられたような気分になったのではないでしょうか。当然、初日のロビーでは賛否両論が渦巻きましたが、私としては、宝塚もようやくここまできたかと、ひそかに留飲が下がりました。
 ひと昔前の宝塚歌劇の正月演目といえば、まずは春日野八千代の新年をことほぐ日舞がある日本物レビューと軽いミュージカルコメディーというような華やかな二本立てが定番でしたが、ここ最近は、『眠れない男ナポレオン――愛と栄光の涯(はて)に』『ポーの一族』『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ)』などの大作一本立てや、『Shakespeare――空に満つるは、尽きせぬ言の葉』『グランドホテル』のような硬派のミュージカルが年頭を飾るようになってきました。元日には鏡開きがあったりしてまだなんとなく正月らしい華やかな雰囲気はあったのですが、今回はちょっと違いました。
『fff』は楽聖ベートーベンの半生を描いた作品ですが、そのアプローチがこれまでの宝塚の作品とは全く異なっているのです。フランス革命後の混乱の時代を生きたベートーベンの創作の秘密を追求、家族や恋人、親友に裏切られ、作曲家の命である耳が聞こえなくなるという八方ふさがりのなかから見いだしたものは何か、そんな深い命題をもった作品に仕上げています。家族愛や夫婦愛といったところに落とし込む作品とは異なった、精神性に訴えた作品なのです。そしてこれを、望海の決して順風ではなかった宝塚人生や、コロナ禍で辛酸を強いられている人々へのエールにダブらせたあたりがただものではありません。しかもミュージカルとしての体裁もきっちり整っているのです。1時間40分あまりの上演時間に詰め込まれた深いメッセージには、観終わった後、すぐに座席を立てないほどの余韻がありました。ただ難点は、暗い、重い、しんどいという生理的な嫌悪感です。宝塚歌劇に何を求めるか、観る側の価値観の違いによって評価が分かれることになったのではないかと思います。
『シルクロード』も、いつもの定番レビューではなく物語性があって、衣装もいつになく地味。前物で十分おなかがいっぱいになって、すっきりしたデザートをと思っているところに、またまたステーキを出されたような感覚です。幻想シーンなど突き抜けた場面とかがあると面白かったのですが、生田大和の生真面目な性格がレビューに映し出されたような気がしています。それ自体はなかなかユニークで文句はないのですが、『fff』の後なので何も考えずに楽しめるいつもの定番レビューが観たかったというのが本音でしょう。とはいえ、こちらもいつもの枠を超えてレベルが高いのは事実です。
 新年早々、この二本立てを観て、いい意味で宝塚歌劇も変わったなあと感慨を深くし、宝塚の未来図を垣間見たような気がしたというのは大げさでしょうか。宝塚らしさを排除して外の世界でも通用する舞台芸術を作り上げることが是なのか、かっこいい男役を前面に出した華やかで甘い従来の宝塚らしさを強調した作品を作り続けていくのが是なのか。その両方をいかにミックスさせるかを試行錯誤してきたのが先達だったと思うのですが、そんなことを考えずに作品づくりをすることが新しい行き方とすれば、今回の二本立てはまさにそのスタート地点に立った重要な作品になったのではないかと思います。望海、真彩という宝塚史上でも類をみない実力派コンビのサヨナラ公演というのがなんとも意義深いものがあります。今回たまたま偶然だったのかもしれませんが、ふとそんなことを考えさせられた公演でした。
 夏に刊行予定の『宝塚イズム43』では、月組のトップコンビ、珠城りょうと美園さくらのサヨナラ特集に加えて、そんな宝塚歌劇の変貌、生き残りをかけた将来の予想図などを特集するのも面白いかなあと思う今日この頃です。

 

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第29回 宝塚のWith CORONA

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 2020年初頭から猛威を振るう新型コロナウイルス感染拡大の波は、いったん収まったかに見えたものの再び感染者増加のきざしをみせ、予断を許さない状況に陥っています。宝塚歌劇団は4カ月間の休演ののち再開、宝塚大劇場、東京宝塚劇場、系列の梅田芸術劇場を中心に感染拡大に細心の注意を払いながら公演をおこなっています。『宝塚イズム』は次号で42号を迎え、コロナ禍のなかでいかに宝塚歌劇が生き残りをかけたか、スターたちの思いなどをくみ取りながら、各組の現況を特集するなど、現在、21年1月刊行に向けての編集作業が鋭意進んでいるところです。
 そんななか11月7日から宙組公演、ミュージカル『アナスタシア』(脚本・演出:稲葉太地)が宝塚大劇場で開幕しました。この作品は葵わかなと木下晴香のダブルキャストで3月から4月にかけて東京と大阪で上演される予定だったブロードウェイミュージカル『アナスタシア』と連動して、5月に宝塚でも上演されるはずの大作でした。しかし先行したミュージカルバージョンが緊急事態宣言によって東京公演途中で打ち切りとなり、大阪公演も中止。宝塚版もいったん公演が延期され、ようやく11月に上演される運びになったものです。半年遅れの公演となって話題性はなんとなくそがれた感じにはなりましたが、自粛期間中の長めの自主稽古が功を奏し、開幕した舞台は充実した仕上がりになりました。
 怪我の功名というには気が引けますが、『アナスタシア』に限らず、長い自粛期間のあとに再開した各組の舞台はいずれも緊張感がみなぎり、歌もダンスもエネルギッシュで、観ているこちらにまでその熱意がダイレクトに伝わってくるようなテンションの高さが印象的でした。再開初日に花組の柚香光、雪組の望海風斗、月組の珠城りょう、星組の礼真琴、そして宙組の真風涼帆がそれぞれフィナーレのあいさつで述べたのは、「当たり前に舞台に立てることの幸せをかみしめ、舞台が好き、宝塚が好きだということにあらためて思い至りました」という同じ言葉でした。
 7月の花組の客席は1席空けでの公演でしたが、9月の月組公演からは通常に戻り、11月の宙組公演も最前列だけ空席でしたが、あとは通常どおりの公演でした。ただ、舞台上は3密を避けるために出演人数を少なくして、下級生はA班、B班の2班構成。演奏も録音で、オケピットに指揮者が入って出演者に歌のきっかけを指示していました。
 とはいえ、客席には熱心なファンが連日大勢詰めかけ、大劇場は盛況が続いています。宝塚ファンの熱い思いが新型コロナも吹き飛ばしてくれるといいのですが、これから冬季に入って、再び感染が拡大しないとは誰も言い切れません。宝塚歌劇はすでに来年8月までのスケジュールを発表しています。ベートーベンの半生を描く雪組の『fff――フォルティッシッシモ』(作・演出:上田久美子)で新年を開け、フレンチミュージカルのヒット作を再演する星組の『ロミオとジュリエット』(潤色・演出:小池修一郎、演出:稲葉太地)やローマ皇帝の生涯を描いた花組の新作『アウグストス――尊厳ある者』(作・演出:田渕大輔)など話題作が並びます。感染が拡大して再び緊急事態宣言が出て公演延期などということにならないように祈るばかりです。
 新年刊行の『宝塚イズム42』の特集は、激動の2020年を振り返るというテーマで、各組がコロナ禍のなかでどんな活動をしてきたかをまとめています。トップ披露公演開幕直前で公演が延期に次ぐ延期となり、結局4カ月遅れで開幕したものの、感染者が出て再び休演という憂き目にあった花組の柚香光。同じく東京でのトップ披露公演が感染拡大で中止、延期になった星組の礼真琴。サヨナラ公演の日程がずれて、退団日が大幅にずれこんだ雪組の望海風斗と月組の珠城りょう。公演中止こそまぬがれたものの、公演スケジュールがずたずたになった宙組の真風涼帆。5組すべてがたどった大変な一年を愛を込めて記録しています。
 一方、2018年初頭に上演され、エポックメイキングな話題を呼んだ『ポーの一族』(脚本・演出:小池修一郎)が21年、退団した明日海りおの主演によって本格的なミュージカルとして再演されることになりました。トップスターが退団後、外部で宝塚での当たり役を再び演じるというのは『AIDAアイーダ』(2009年)の安蘭けい、『るろうに剣心』(2018年)の早霧せいなに次いで3人目。最近のトップ経験者の通過儀礼的なイベントになりつつあります。そのことの是非も含めて、『ポーの一族』再演への期待を特集しました。
 ほかにも64年間の宝塚生活にピリオドを打つ日舞のベテラン、専科の松本悠里の功績のまとめ、そしてOGインタビューは昨年、惜しまれながら退団した元月組の美弥るりかが登場、コロナ禍の活動など近況をたっぷり聞きました。
 毎回好評の公演評も、新人公演評はありませんが、大劇場公演評、外箱対談、OG公演評など、できるかぎり多くの公演を所収しています。お手元に届くのは新年早々になりますが、ご期待のうえ、お楽しみに。

 

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第28回 公演再開! 観客の熱気と感染対策

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 一時は収まりかけた新型コロナウイルス感染が再び拡大しつつあるなか、宝塚歌劇は7月17日から本拠地の宝塚大劇場、同31日から東京宝塚劇場、8月1日からは大阪の梅田芸術劇場メインホールと3劇場での公演を約4カ月ぶりに再開しました。ところが大劇場再開後2週間、8月2日に公演関係者に体調不良が判明、急遽4日までの公演が中止になる事態が発生。検査の結果、出演者8人とスタッフ4人の計12人の感染が判明、その後さらに1人増えて8月末までの公演中止を余儀なくさせられました。一方、東京宝塚劇場の出演者にも陽性者が出て再開後わずか1週間で公演中止、新型コロナウイルスは宝塚でも猛威を振るっています。
 3月末以降、全公演を休演していた宝塚歌劇ですが、本拠地の宝塚大劇場が花組公演『はいからさんが通る』(脚本・演出:小柳奈穂子)、東京宝塚劇場が星組公演『眩耀(げんよう)の谷――舞い降りた新星』(作・演出・振付:謝珠栄)と『Ray――星の光線』(作・演出:中村一徳)、梅田芸術劇場メインホールは宙組公演『FLYING SAPA――フライング サパ』(作・演出:上田久美子)。いずれも、新型コロナウイルス感染拡大で稽古を中断、上演が延期されていた公演で、花組公演がトップスター・柚香光の本拠地お披露目、星組公演が礼真琴の東京お披露目と、どんな形であれ新たなスターの披露公演がようやく実現したことは、劇団にとってもファンにとっても喜ばしいことでした。
 7月17日、宝塚花のみちには3月時点ではまだ工事中だった新「宝塚ホテル」がオープン、大劇場初日開場に急ぐファンも思わず足を緩めてその偉容を眺めながら劇場に向かう姿がちらほら、4カ月ですっかり様変わりした花のみちに休演期間の長さがあらためてうかがえて、今回のコロナ禍の異常事態を実感させられました。
 大劇場正門前にはテレビカメラや報道陣が多数詰めかけ、駆け付けたファンに感想を聞くなど、劇場再開が社会的にも注目されていることを裏づける光景も。入場は宝塚バウホール口1カ所で、入場者全員に手指のアルコール消毒を要請、体温をチェックしてからロビーに入場というシステム。初日とあってマスク姿の関係者がやたらに目につき、全社員総動員といった感じの物々しさ。ファンクラブのチケット出しもロビー大広間ではなくエスプリホール前、開演前のロビー大広間はいつもとはずいぶん異なった緊張感あふれる雰囲気でした。
 座席は感染拡大を予防するため、1席ずつ空けての販売、舞台と客席の距離を保つために最前列も空席にし、定員2,500人の半分以下の収容とあって再開を待ちわびたファンで初日のチケットは早々に完売。劇団は再開当日のフィナーレをCSの専門チャンネルで生中継し、翌日の公演をネットで有料配信するなど遠隔地で劇場に足を運べない人のための新たな取り組みも企画してこの事態に積極的に対応しました。当面の間は団体貸し切りも受けない方針で、そのためか座席数が減っているにもかかわらず、チケットは日にちを選ばなければ十分入手可能、思いがけずゆったりと観劇できる事態になったのがちょっぴり皮肉でした。
 公演は、舞台上の三密を避けるため、演出に工夫を重ね、オーケストラの生演奏を録音に変更、フィナーレの客席降りもなくすなど、感染予防に最大限の配慮をして上演。開演前の「場内での会話は控えてください」という場内アナウンスのせいか、しーんと静まり返った客席が、ざわついたのは5分前に緞帳が上がりピンク色の文字で「はいからさんが通る」と浮き上がったとき。そして高翔みず希組長の挨拶のあと柚香光の開演アナウンスになると爆発したように大きな拍手が。いつもの半分の人数のはずですが2,500人収容のときと同じくらいのパワーでした。
 伊集院忍役でトップ披露になった柚香は、まるでマンガから抜け出たような凛々しさ・美しさ・力強さのなかに純粋さとコミカルな部分もうまく引き出され、これ以上ない適役、代表作として長く語り継がれるでしょう。ここまで役と本人が二重写しになった例はこれまで見たことがないといってもいいぐらいです。花村紅緒に扮した華優希も、3年前に比べて段違いの成長ぶり。青江冬星役の瀬戸かずや、鬼島森吾軍曹役の水美舞斗と藤枝蘭丸の聖乃あすか、花組初登場の永久輝せあと、いずれも4カ月のブランクの間にため込んだパワーを最大限に解放していたかのようでした。
 31日の東京宝塚劇場、8月1日の梅田芸術劇場での公演初日も、普段の半分の観客数にもかかわらず、再開を待ち望んだファンの熱い視線が、劇場内に独特の温かい空間を作り上げていました。それぞれの再開初日はこうして無事幕を閉じましたが、感染拡大の荒波は宝塚に容赦なく降りそそぎ、8月に入って宝塚大劇場と東京宝塚劇場で最悪の事態が起こってしまいました。さらに8月17日から開幕の予定だった彩風咲奈主演の雪組公演『炎のボレロ』(作:柴田侑宏、演出:中村暁)、『Music Revolution!――New Spirit』(作・演出:中村一徳)の出演者にも1人感染者が出てしまい、公演延期の判断が下されました。
 1日からの梅田芸術劇場メインホールでの真風涼帆主演の宙組公演『FLYING SAPA』と14日からの同シアタードラマシティ、桜木みなと主演の宙組公演『壮麗帝』(作・演出:樫畑亜依子)は予定どおりおこなわれましたが、いつまた中止になるかわからない薄氷を踏む思いの緊張感あふれる毎日の公演でした。
 入場者全員の検温とアルコール消毒、マスクの徹底など劇場側の対応に加えて、これからの舞台が無事開幕できるように観客側も各自責任をもって予防を徹底、両者で安心して楽しめる空間を作り上げることがさらに必要になってくるでしょう。
 我が『宝塚イズム42』も、宝塚歌劇の公演再開とともに、12月発行を目指して動き始めようとしています。公演スケジュールの大幅な見直しがあり、雪組・月組の退団公演が先送りになることなどから特集をどうするか、これから検討することになりますが、新型コロナウイルス感染拡大のなか、宝塚歌劇の魅力をどうお伝えできるか、知恵を絞りたいと思っています。ご期待ください。

 

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第27回 コロナ禍中にたどり着いた『宝塚イズム41』の刊行

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 新型コロナウイルス感染拡大予防のための緊急自粛要請が徐々に解除の流れになり、全国の大型書店も再開の動きが出てきました。コロナ禍中の4月以来編集作業を重ねてきた『宝塚イズム41』は6月1日発売予定。絶妙のタイミングでみなさんの手元に無事お届けできるのではないでしょうか。
 巻頭特集は「望海風斗&真彩希帆 ハーモニーの軌跡」。2月に今秋退団を発表した雪組のトップコンビ、望海風斗と真彩希帆のこれまでの輝かしい軌跡を『イズム』執筆メンバーに振り返ってもらいます。通常なら「望海風斗、真彩希帆サヨナラ特集」となるところですが、コロナ禍で宝塚歌劇の公演が中断。再開後は、スケジュールを新たに編成しなおして公演されることになり、退団日が遅ければ来年にずれ込む可能性があるため「退団が決まっている二人の軌跡をたどる」という形をとったのです。とはいえ、さすが実力派の二人です。入団当時から現在まで、しっかりと見守ってくださったメンバーの珠玉の原稿が集まりました。抜群の歌唱力とともに二人の相性のよさの秘密が解き明かされます。ご期待ください。
 小特集は「小池修一郎、美麗な世界の創造者」。今年3月に65歳の誕生日を迎え、歌劇団を役職定年となった演出家小池修一郎氏の創作の秘密と作品の魅力、宝塚での功績を論じます。宝塚歌劇団は親会社が阪急電鉄ですので、劇団員も演出家も会社員で、否が応でも社則に従っての定年退職を迎えます。もちろんその後も「団友」という立場で歌劇団の仕事に携わることは可能で、これまでにも柴田侑宏、酒井澄夫、岡田敬二、三木章雄、中村暁といった各氏はことあるごとに新作や旧作の再演時に演出を担当しています。理事長を務めた植田紳爾氏は特別顧問という立場で別格ですが、『エリザベート』(1996年初演)を筆頭にここ30年間、ヒット作を量産、宝塚歌劇の隆盛を演出家という立場から支えてきた小池氏もそれに準じる待遇になると思われます。
 今年1月、自身の集大成的大作『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)』(雪組)を発表して、歌劇団の演出家としての立場に一区切りをつけた小池氏の演出家としての原点や、今後の活躍への期待など多彩なアプローチで小池氏の創作の秘密に迫ります。
 一方、今年2月に肺炎で亡くなった、1960年代から70年代にかけて宝塚で一時代を築いた稀代のショースター、眞帆志ぶきさんをしのぶ特集も組みました。眞帆さんは、レビューがメインで芝居は前物だった宝塚の最後のスター。鴨川清作氏のミューズとして『シャンゴ』(雪組、1968年)や『ノバ・ボサ・ノバ』(星組、1971年)など数々のショーの傑作を生み出した眞帆さんですが、全盛時代はまだビデオが普及する前で音源は残っていても映像は全く残されておらず、その偉業は、ややもすれば忘れ去られがちです。きちんと記録を残しておかないといけないという思いから、追悼文と生前のインタビューを交えた葬儀のルポを掲載しています。
 OGインタビューは、昨年退団した元星組トップスター、紅ゆずるさんの登場。取材時点では公演予定だった退団後の初舞台、6月の熱海五郎一座新橋演舞場シリーズ第7弾東京喜劇『Jazzyなさくらは裏切りのハーモニー――日米爆笑保障条約』が残念ながら公演中止になってしまいましたが、宝塚への熱い思い、そしてこれからの抱負などをたっぷりお聞きしています。
 恒例の大劇場公演評や新人公演評、外箱公演対談さらにOG公演評なども、コロナ禍の休演で執筆担当者が観られなかったり取り上げる予定の公演が中止になったりとさまざまな障害がありましたが、なんとか原稿がそろい刊行にこぎつけました。こういう事態になってもみなさんの宝塚愛は変わらず、いつになく熱がこもった一冊になったと自負しています。
 肝心の新型コロナは、治療薬やワクチンが世界中の医療関係者の必死の努力にもかかわらず未開発のまま。緊急事態宣言の解除もさまざまな制約のうえでの見切り発車となりました。劇場も解除の対象に入り再開への兆しはありますが、閉鎖空間で客席はおろか舞台上も3密は避けられず、再開にあたって客席は1列おきの着席で両サイドは2席あけてとか、舞台と客席の空間を確保せよとか無理難題。キャパシティーの半分以下の入場者数では公演しても赤字は必至、第一こんな状態で観劇しても楽しむどころか不安が増すばかり。おまけにロビーでの滞留時間を短くせよとのお達しもあってグッズ販売もままならないという状態のなか、実際に再開できるのかどうかまだまだ先が見えない状態です。
 宝塚歌劇は6月末までの休演が決まっていて、7月再開を目指していますが、この様子だと自粛以前の通常の状態で再開するのは難しそう。一刻も早く、演者も観客も安心して心の底から楽しめる空間を取り戻すことができることを望むばかりです。『宝塚イズム42』発売時(12月1日予定)にはそういう状態になっていることを期待しつつ、とりあえず6月1日発売の『宝塚イズム41』をお楽しみください。

 

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第26回 コロナウイルス蔓延による休演に思う

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 猛威を振るう新型コロナウイルスの蔓延は宝塚歌劇団にも甚大な影響を与え、公演の中止が相次ぎ、6月1日刊行予定の『宝塚イズム41』の編集作業にも支障が出始めています。突然の公演中止で、公演評執筆者が公演を観ることができなくなったり、公演それ自体もなくなってしまうという事態が発生しているのです。しかも、東京や大阪に緊急事態宣言が出され、東西の移動がままならないことも編集作業のネックになっています。とはいえ、新しい執筆者の参加もあって何とか形が見えてきたきょうこのごろです。

 ことの始まりは2月28日の閣議でのイベント自粛要請でした。宝塚大劇場では星組の礼真琴、舞空瞳トップ披露公演『眩耀の谷――舞い降りた新星』と『Ray――星の光線』の上演中。25日には碧海さりお主演による新人公演が満員の盛況でおこなわれたばかりの直後の金曜日。横浜港に停泊していたクルーズ船内での感染が連日ニュースで伝えられていたころで、脅威はまだそれほど身近ではありませんでした。しかし、和歌山や北海道での感染が伝えられるに至っての自粛要請でした。
 歌劇団は28日、他の劇場よりも先んじて翌29日の土曜日から3月8日までの全公演の休演を発表。宝塚大劇場星組公演、東京宝塚劇場雪組公演、名古屋御園座月組公演、東京建物Brillia HALL月組公演が対象になり、月組の2公演は公演半ばでの突如の打ち切りとなってしまいました。大劇場と東京宝塚劇場は休演期間中に劇場内を完全消毒、観客全員の検温装置を完備して再開に備え、9日は大劇場の星組公演千秋楽。東京宝塚劇場は休演日だったため、翌10日から大劇場と同様の態勢で再開にこぎつけました。
 ところが、社会ではそのころからやっと自粛ムードが高まり始め、松竹系の各劇場が3月16日までの休演を決めたところだったので、宝塚歌劇の再開がテレビのニュースやワイドショーで大々的に取り上げられ、ネットなどで「なぜ宝塚だけが再開するのか」などと批判が殺到し、再開を心待ちにしていたファンの喜びをよそに、結局、東京宝塚劇場は10、11日と2日間再開しただけで再び休演。大劇場は13日から開幕するはずだった新トップスター、柚香光のトップ披露の花組公演『はいからさんが通る』の初日を20日まで1週間延期することを決断、東京宝塚劇場とともに19日までの休演を発表しました。
 しかし、感染は終息どころかますます拡大するばかりで、政府は3月20、21、22日の外出を自粛するよう要請、再び公演を中止せざるをえなくなり20、21日の2日間延長を発表、大劇場花組の初日は22日と発表されました。その日が東京宝塚劇場雪組公演の千秋楽だったこともあります。
 大劇場の3月21、22日は2回公演でしたが、そのうち2公演が貸し切り公演で、早くからキャンセルになっていて休演することになっていたこともあって結局、月末の31日まで延期がずれこみました。しかし東京宝塚劇場だけは公演を決行。全国映画館でのライブビューイングを中止、そのかわりにCS放送の宝塚専門チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」での生中継に踏み切りました。
 望海風斗は千秋楽の舞台を終えた後、「舞台はお客様があってこそということを改めて思い知りました。このようなときに観にきてくださったすべての方に感謝するとともに、大変な苦労の末、私たちにこの機会を作ってくださった関係者のみなさんの努力に対してこの場をお借りして感謝の念をお伝えしたい」と涙を浮かべてあいさつしたのが印象的でした。3月22日のこの公演から、宝塚歌劇はまだ上演されていません。
 花組公演『はいからさんが通る』はその時点で4月2日初日(1日は休演日)の予定で準備を進めていましたが、新型コロナウイルスの感染はさらなる拡大傾向をみせはじめ、3月30日になって4月12日まで『はいからさん』も含めた全公演の中止を発表しました。『はいからさん』の初日がまたまた延期になったほか、もともと27日開幕予定だった東京宝塚劇場の星組公演『眩耀の谷』『Ray』の初日がさらに延期、真風涼帆主演の宙組TBS赤坂ACTシアター公演『FLYING SAPA――フライング サパ』も初日がずれこみ、桜木みなと主演の宙組公演『壮麗帝』東京公演は全日程中止になってしまいました。当初1週間ぐらい自粛すれば大丈夫だろうと考えていたふしがあるのですが、少しずつずれこんで気がつくと1カ月の休演になってしまいました。そして4月7日、緊急事態宣言が出る直前に、期限を切らない公演の中止に踏み切りました。
 宝塚歌劇が公演中止に追い込まれたのは、106年の歴史のなかで初めてではありません。最初は、まだ草創期の1923年、東京公演が成功するなど人気が沸騰して宝塚パラダイス劇場だけでは手狭になり、箕面の公会堂劇場を宝塚に移設して2劇場で上演をするようになった矢先、失火で2劇場とも焼失するという大事故が起こりました。創始者の小林一三はそれを前向きにとらえて4,000人収容の宝塚大劇場を建設。約2カ月間の休演を余儀なくされました。その間、歌劇団は全国で巡回公演をおこなっています。次は44年4月から46年4月まで、太平洋戦争末期から戦後にかけての2年間にわたる休演です。そして95年1月17日に発生した阪神・淡路大震災のときです。このときは3月31日の再開まで約2カ月、宝塚大劇場とバウホールが休演しましたが、シアター・ドラマシティや東京宝塚劇場、名古屋の中日劇場での上演は予定どおりでした。それを考えるとこの事態はまさに戦時中以来ということになります。

 ウイルス感染の脅威が、人々の生命と生活にこれほど大きな影響を及ぼしたことが、かつてあったでしょうか。「不要不急」という言葉で文化すべてがなくなっていく現実は、まさに戦時下を思わせます。人の命の尊さにはあらがうことはできませんが、必死で舞台づくりをしている人々の努力が無に帰すのはなんとも切ないかぎり。ニュースによると、ヨーロッパ各国では国が要請して公演を中止した劇場の従業員や俳優には全額とは言わないまでもかなりの補償金が支払われるといいます。自粛だけ要請して「補償はできない」と堂々と言ってのける国のトップの無神経さがたまりません。それだけではなく、マスコミの報道も毎日あきもせず同じことばかり。政治家ともども文化的水準の低さが改めて浮き彫りになり、言ってもむなしいとわかってはいても愚痴のひとつもこぼしたくなります。
 ますます深刻さの一途をたどる新型コロナウイルスの感染拡大ですが、一刻も早い終息を願うばかりです。

 

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第25回 礼真琴と柚香光、お披露目公演への期待

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 105周年という節目の年に星組の紅ゆずる、花組の明日海りおという人気トップスター2人が連続退団して、大きな穴がぽっかりあいたような寂寞感が残るなか、宝塚歌劇は2020年を迎えました。年頭の小川友次理事長の会見によると、紅と明日海の退団もあって観客動員はさらに伸びて、19年は280万人を超え、史上最高の記録を達成したそうです。近年、力を入れているライブビューイングも明日海の千秋楽は全国で6万人の新記録になったといいます。東京宝塚劇場のチケット争奪戦はより深刻で、転売によるトラブルが後を絶たず、100周年以降の宝塚人気が頂点に達したかのようです。
 2人の人気スター退団後、この好調をどのように持続するかが2020年の大きな課題ですが、トップスターが退団しても、すぐそのあとに新たなスターが生まれ、新たな時代が始まるのが宝塚歌劇。この繰り返しで宝塚歌劇は105年間にわたる盛況を保ってきました。現に1月には花組の新トップスター・柚香光がお披露目公演『DANCE OLYMPIA』を東京国際フォーラムで華々しくスタートし、連日満員の人気で熱気あふれる舞台を繰り広げました。
 スターの新陳代謝の繰り返しこそがほかの劇団にない宝塚歌劇の特徴です。誰が次のトップになるか、中身よりもそんな人事的興味だけで宝塚歌劇が楽しめることは誰もが納得するところです。昨今のSNSの普及とともにファンによるスターの青田買いはますます過熱しているようです。
 ということで、トップスター2人が退団するということは2人の新トップスターが誕生することにつながるわけで、次代のスターがどのように成功するかが、宝塚存亡の鍵にもなるわけです。それだけにトップお披露目公演の選択は宝塚歌劇の今後を占う重要なものになります。お披露目公演はサヨナラ公演と違って客足が思ったほど伸びないというのもこれまでの通例です。宝塚ファンには早くから知られているスターでも、宝塚ファン以外はトップスターになったときにはじめて名前を知る新人。よほどのインパクトがないと都会から遠く離れた2,500人収容の宝塚大劇場に、宝塚ファン以外を巻き込んで連日満員にすることは至難の業なのです。
 そこで近年は、新トップのお披露目公演には宝塚ファン以外にもよく知られる大作の再演をぶつけて新トップを作品面で応援することがセオリーになっています。観客動員が好調に推移している100周年以降の新トップお披露目公演を振り返ってみてもこんなラインアップです。

 2014年8月、花組 明日海りお『エリザベート――愛と死の輪舞』
 2015年1月、雪組 早霧せいな『ルパン三世――王妃の首飾りを追え!』
    8月、星組 北翔海莉『ガイズ&ドールズ』
 2016年5月、宙組 朝夏まなと『王家に捧ぐ歌』
 2017年1月、月組 珠城りょう『グランドホテル』
    3月、星組 紅ゆずる『THE SCARLET PIMPERNEL』
   11月、雪組 望海風斗『ひかりふる路――革命家、マクシミリアン・ロベスピエール』
 2018年3月宙組 真風涼帆『天は赤い河のほとり』

 雪組の早霧せいなのお披露目公演が『ルパン三世』、望海風斗が『ひかりふる路』、そして宙組の真風涼帆が『天は赤い河のほとり』と新作です。しかし、『ルパン三世』『天は赤い河のほとり』は漫画がベストセラーでよく知られた作品ということを差し引けば、フランス革命の立役者マクシミリアン・ロベスピエールを主人公にした『ひかりふる路』が唯一オリジナルの新作で、それ以外はすべて再演の大作です。それ以前も月組の霧矢大夢が『THE SCARLET PIMPERNEL』(2010年)、花組の蘭寿とむが『ファントム』(2011年)、月組の龍真咲が『ロミオとジュリエット』(2012年)、雪組の壮一帆が『ベルサイユのばら』(2013年)とお披露目公演はすべて知名度がある一本立ての大作でした。
 新トップスターの大劇場お披露目公演が動員的に不安であることの証しですが、近年はそれを見越して、大劇場お披露目公演の前に、外箱公演で肩慣らし的なプレお披露目公演をおこなってある程度知名度を上げてから大劇場に乗り込むというのが通例化してきました。珠城りょうの『アーサー王伝説』(月組、2016年)、紅ゆずるの『オーム・シャンティ・オーム――恋する輪廻』(星組、2017年)、望海風斗の『琥珀色の雨にぬれて』(雪組、2017年)全国ツアー、真風涼帆の『WEST SIDE STORY』(宙組、2018年)という具合です。
 紅と明日海の後を継ぐ星組の礼真琴と花組の柚香光も例にもれず、プレお披露目公演が用意されました。礼が『ロックオペラ モーツァルト』(星組、2019年)、柚香が前述の『DANCE OLYMPIA』です。『ロックオペラ モーツァルト』は歌が得意な礼に合わせたロックミュージカル、『DANCE OLYMPIA』はダンスが得意な柚香のためのダンスコンサートと、2人の個性にぴったりの演目が用意されました。そして、大劇場のお披露目公演は礼が『眩耀(げんよう)の谷――舞い降りた新星』(星組、2020年)、柚香は『はいからさんが通る』(花組、2020年)です。
『はいからさんが通る』は、柚香が二番手時代に主演して当たり役になったヒット公演の再演ということで、柚香のための企画としてはうってつけだと思いますが、礼のお披露目公演になった星組『眩耀の谷』には少々驚きました。新トップのお披露目公演に動員数などが読みづらいタイトルの新作です。作・演出・振付を担当する謝珠栄の先祖に材を取った紀元前800年ごろの中国大陸を背景にしたオリジナルの新作。流浪の民・汶族を滅ぼした周は、新しく赴任した丹礼真に汶族の聖地〝眩耀の谷〟探索を命じるが、礼真はそこで美しい舞姫・瞳花と運命の出会いをして……というストーリーです。「新トップコンビ、礼と舞空瞳のために書き下ろした幻想的な歴史ファンタジー」というのが売り文句ですが、これは大きなチャレンジだと思います。3回の台湾公演を成功裏に終え、台湾や香港でのライブビューイングが盛況で、インバウンドの観客が増えていることで、アジア人向けに選んだ作品のような気もします。新トップコンビのお披露目公演としてどういう結果が出るか、今後の宝塚にとって大きな試金石になる公演のような気がしています。いずれにしても、100周年以来毎年動員数を記録更新しているいまだからしかできない冒険なのかもしれません。開幕は2月7日。大いに注目したいと思います。
 さて『宝塚イズム』では第40号刊行記念として、去る12月18日に東京・日比谷のHMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEのイベントスペースで、橘涼香さんの司会でトークイベントをおこないました。狭いスペースに満席の70人の方々が参加してくださり、約1時間半の読者との初めての交流は盛況に終わりました。そのときにいただいたさまざまなご意見を参考に、次号の編集作業に取り組んでいきたいと思っています。本当にありがとうございました。機会があればぜひまた開催できればと思います。

 

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第24回 「明日海りお退団」の熱狂を振り返る

薮下哲司(映画・演劇評論家)

『宝塚イズム40』が、11月27日に全国の大型書店を中心に発売されました。記念すべき第40号は、先日の24日に東京宝塚劇場千秋楽をもって退団した花組のトップスター・明日海りおのさよなら特集号です。半年に1回の刊行ペースでこのタイミングというのは、奇跡的なことだと思います。まさに神の啓示でしょうか。
『宝塚イズム』は雑誌ではなく書籍ですので、当たり前ですが原稿の締め切りはかなり前で、東京公演の千秋楽など誰も見ていない時期に原稿を書くことになります。しかし、そこはこれまでずっと明日海ウオッチャーの執筆メンバーのこと、全員がまるで千秋楽を観てきたかのように明日海のことを深く理解した原稿が集まったのには驚かされました。
 それはともあれ、明日海の千秋楽は最近の宝塚でも異例尽くしのビッグイベントになりました。千秋楽のチケットは2階最後列のB席でも30万円で取り引きされるというプレミアがつき、全国189の映画館で開催されたライブビューイングは7万人を超える動員になりました。7万人という数字は、東京宝塚劇場のほぼ1カ月の入場者数に匹敵します。
 明日海は退団公演の前に横浜アリーナでのコンサートを成功させるなどしているのだから、1カ月の公演では到底、ファン全員が見られないことは初めからわかっていたはず。ライブビューイングの数字にそれが如実に現れています。これだけのスターはこれから当分現れないかもしれませんが、宝塚歌劇の今後の発展を考慮すると、少なくとも公演回数を倍に増やすなどの配慮があってもよかったのではないでしょうか。
 105周年に2人の人気トップスターが退団するのですから、極論すれば紅ゆずると明日海りおのさよなら公演を半年ずつロングランしてもいいほどだったと思います。もちろんほかの組のメンバーも出て各組合同公演にするのです。夢のような話ではありますが、これぐらいしなければ賄えないくらい明日海の人気は過熱したということでしょうか。
 11月24日の千秋楽のパレードには1万人が劇場前に集結して明日海の退団を惜しみました。そんななか、明日海自身は「第27代花組トップスターの任務を今日終えました」とさわやかな笑顔で別れを告げました。宝塚を愛し、男役を愛した明日海らしく、最後まで凛とした表情で務め上げ、最後の最後のカーテンコールでは、「明日からはもうタカラジェンヌではなくなるので、道ですれ違ったら気軽に声をかけてくださいね」と一般人宣言をして、スタンディングオベーションをするファンたちを感激させました。
 千秋楽公演直後におこなわれた記者会見で「今後の予定」を聞かれた明日海は「結婚の予定はなく、とりあえず明日は何も予定がありません」と答えましたが、それでもやはり気になるのは退団後の身の振り方でしょう。これだけの人気者ですから業界が放っておくはずはなく、引く手あまたであることは確かで、そのなかから本人が何を選ぶかということなのだろうと思います。
 宝塚が好きで男役が好きな明日海がすぐに女優に転じるとは思えず、とりあえずコンサートのような形で復帰することになるのではないかというのが大方の予想です。個人的にはしばらくゆっくり休養して、心身ともにリフレッシュしてからコンサートなりミュージカルなりで元気な姿を見せてくれたらと願っています。
 ただ、ゆめゆめ『ポーの一族』(花組、2018年)を明日海の主演によって外部で再演するというような暴挙だけはやめてほしいと思います。元雪組の早霧せいなが退団後に『るろうに剣心』(2018年)に同じ役で出演しましたが、宝塚版とほぼ同じ脚本にもかかわらず、周囲の出演者に男性が交じると宝塚版とはまったく違った空間になりました。たかが宝塚、されど宝塚です。えらいものです。『ポーの一族』も宝塚の舞台でこそ生きえた題材だったのではないでしょうか。将来『ポーの一族』のエドガー・ポーツネルにふさわしい新たなトップスターが出現するまで大切に封印しておいてほしいと思います。
 さて、明日海が退団したいま、ポスト明日海は現れるのか。これが宝塚にとってこれからのいちばん大きな問題でしょう。紅が退団した星組は、新トップスター・礼真琴のプレお披露目公演『ロックオペラ モーツァルト』(2019年)が大阪からスタート。連日満員御礼の人気で上演中で、東京公演もいつにないチケット争奪戦が繰り広げられているようです。作品的にもクオリティーが高く幸先がいいスタートになりました。明日海の後継者になった花組の柚香光は2020年1月の東京国際フォーラムでの『DANCE OLYMPIA』からの出発になります。柚香がいちばん輝くダンスを中心にしたショーということで、こちらも期待できそうです。とりあえず星・花組には不安はなさそうです。
 ただ、新人公演クラスの若手にこれといった期待のスター候補生が、星・花組も含めた各組に見当たらないのがちょっと問題です。歌がうまい、芝居がうまいというスターはいっぱいいるのですが、宝塚ならではのスター性豊かな突出した人材が見当たらないのです。そんななかで『チェ・ゲバラ』(2019年)のフィデル・カストロ役を見事に演じた月組の風間柚乃が、今後どういう形で大きくなっていってくれるか、ポスト明日海になることができるか、見守っていきたいと思います。
 そして最後に、『宝塚イズム40』刊行記念トークイベントのお知らせです。12月18日(水)18時から東京・日比谷の東京宝塚劇場前にあるブックストアHMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEイベントスペースで、編著者の演劇評論家・薮下哲司とOGロングインタビューを担当した演劇ライター・橘涼香さんが「明日海りお・紅ゆずるの魅力を語り、2020年を展望する」のタイトルで語り合います。月組公演観劇後にお気軽にお立ち寄りください。お問い合わせはウェブサイトか03-5157-1900まで。

 

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第23回 トップスターのサヨナラ公演に思う

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 宝塚歌劇105周年の今年、星組の紅ゆずると花組の明日海りおという2人のトップスターが立て続けに退団するという異常事態になりました。『宝塚イズム40』(12月1日発売予定)では、『39』の紅に続いて明日海の退団を特集、5年半にわたる在位でトップの座を極めた宝塚歌劇史上まれにみるフェアリーの魅力のすべてを解き明かすべく、鋭意、編集作業中です。
 現在、そのサヨナラ公演が、宝塚から東京へと、さよならフィーバー真っ最中といったところです。紅のサヨナラ公演は小柳奈穂子作・演出による『GOD OF STARS――食聖』と酒井澄夫作・演出の『Éclair Brillant(エクレール ブリアン)』。一方、明日海は植田景子作・演出の『A Fairy Tale――青い薔薇の精』と稲葉太地作・演出の『シャルム!』。いずれも2人にゆかりの深い作者が、それぞれの最後の公演のために腕によりをかけた作品です。しかし、同じサヨナラ公演といっても2人の個性に合わせた対照的な作品が並びました。サヨナラ公演といっても千差万別。とはいえ、そこには厳然とした決まり事もあります。そこで、その最近の傾向を振り返ってみることにしましょう。
 トップスターのサヨナラ公演は、そのトップスターが下級生のころから特にゆかりのある演出家が担当し、そのスターの宝塚生活最後の公演のために新たなキャラクターを書き下ろすのが基本的なセオリーになっています。
 ここ10年を振り返ってみると次のようになります。
 
 星組・安蘭けい 『My Dear New Orleans』植田景子(2009年)
 宙組・大和悠河 『薔薇に降る雨』正塚晴彦(2009年)
 花組・真飛聖  『愛のプレリュード』鈴木圭(2011年)
 月組・霧矢大夢 『エドワード8世』大野拓史(2012年)
 雪組・音月桂  『JIN――仁』齋藤吉正(2012年)
 宙組・大空祐飛 『華やかなりし日々』原田諒(2012年)
 花組・蘭寿とむ 『ラスト・タイクーン――ハリウッドの帝王、不滅の愛』生田大和(2014年)
 雪組・壮一帆  『一夢庵風流記 前田慶次』大野拓史(2014年)
 宙組・凰稀かなめ『白夜の誓い――グスタフⅢ世、誇り高き王の戦い』原田諒(2015年)
 星組・柚希礼音 『黒豹の如く』柴田侑宏(2015年)
 月組・龍真咲  『NOBUNAGA信長――下天の夢』大野拓史(2016年)
 雪組・早霧せいな『幕末太陽傳』小柳奈穂子(2017年)
 宙組・朝夏まなと『神々の土地』上田久美子(2017年)
 星組・紅ゆずる 『GOD OF STARS――食聖』小柳奈穂子(2019年)
 花組・明日海りお『A Fairy Tale――青い薔薇の精』植田景子(2019年)
 
 タイトルとスターの名前を見ると、当時の舞台が走馬灯のように次から次へと目の前を駆け巡ります。そして、それぞれの作品に作者がスターの個性を渾身の思いで生かそうとした努力が見え隠れして、懐かしさが込み上げます。これ以前は、植田紳爾や小池修一郎、正塚晴彦といったベテラン作家がサヨナラ公演を書いていましたが、ここ10年は、世代交代してトップスターにゆかりのある若手作家が担当することが多くなってきました。というのも、トップスターのサヨナラ公演は、黙っていてもチケットは完売し営業的には心配する必要がないので、若手作家の腕試しにはもってこいの場になっているからです。
 ついついサヨナラの思いに流されて、涙もろい感傷的な作品になりがちですが、『幕末太陽傳』や『神々の土地』のような独立した作品として十分鑑賞に堪える作品も生まれてきています。とはいえ、クライマックスには退団するトップスターが次期トップに決まった二番手スターに組を託すというセリフや歌が必ずあって、ファンの涙を誘うことになっています。それが度を超すと、内輪のセレモニーになりすぎて、見ていて気恥ずかしく感じることもしばしばです。今年の2本は、それがあまり仰々しくなくてほっとした次第。作品的にも紅と明日海の個性に合わせた軽いコメディーとファンタジーでした。
 上の表にもあるように、退団するスターにはすでに代表作といわれる作品があって、サヨナラ公演はファンサービスといったものが多く、今年の2人も、紅には落語の世界を舞台化した『ANOTHER WORLD』(作・演出:谷正純)、明日海には萩尾望都原作の『ポーの一族』(脚本・演出:小池修一郎)があるので、そのイメージを膨らませたような作品になっているといえるでしょう。ラストに次期トップスターに組を託すというバトンタッチが用意されているのはセオリーどおりでした。
 そもそもサヨナラ公演というのはいつごろから始まったのでしょうか。サヨナラ公演の千秋楽にサヨナラショーを開催するようになったのは1963年の明石照子が最初といわれていますが、サヨナラ公演となると定かではありません。退団することが宿命づけられている宝塚のトップスターにとって、それこそ100年前からサヨナラ公演はあったことになります。でも、退団発表があり翌日に記者会見があってサヨナラ公演というパターンは、少なくともこの50年前から確実に続いてきました。そして「宝塚はサヨナラで稼ぐ」という言葉どおり、劇団のドル箱になっているのもそのころから変わりません。
 サヨナラ公演の演目はトップスターに対する当て書きの作品で再演しづらく、いかに優れていても再演というのはなかなかありません。和央ようかと花總まりのサヨナラ公演だった宙組公演『NEVER SAY GOODBY』(2006年)は小池修一郎のオリジナルミュージカルの秀作ですが、2人に遠慮してか、いまだに再演されていません。しかし、例外もあります。それが一路真輝のサヨナラ公演だった『エリザベート』(1996年)です。この作品はウィーン発のミュージカルということで他の作品とは意味合いが違うかもしれませんが、一路のサヨナラ公演はオリジナルを大幅に変更して上演したことで宝塚歌劇にぴったりの作品に生まれ変わり、現在に続くヒット作になったのだと思います。サヨナラ公演が、宝塚歌劇の財産になった稀有な例でしょう。始まりはサヨナラ公演でしたが、最近ではトップお披露目公演で上演することが多くなりました。そういえば、今回退団する明日海のトップお披露目は『エリザベート』でした。
 とりもなおさずサヨナラ公演は、宝塚歌劇ならではのビッグイベントであることはこれからも変わらないでしょう。そして、スターが替わっても、常に新鮮さを保ち続けることが宝塚歌劇の魅力の一つであることも変わりはないと思います。

 

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第22回 柴田侑宏さんをしのんで

薮下哲司(映画・演劇評論家)

 
 105周年を迎えた宝塚歌劇の後半世紀の間、宝塚の作品群に確固とした品格を生み出した最大の功労者、柴田侑宏氏が2019年7月19日、闘病の末亡くなった。87歳だった。7月21日に通夜式、同22日には告別式が西宮市内のエテルノ西宮でしめやかに営まれた。通夜式には、榛名由梨、鈴鹿照、高汐巴、寿ひずる、平みち、杜けあき、湖月わたる、朝海ひかる、蘭寿とむ、龍真咲らOG、松本悠里、轟悠、明日海りお、望海風斗らの現役生、告別式にも紫苑ゆう、黒木瞳、愛華みれ、真琴つばさ、稔幸、大空祐飛ら多くのOGや現役生をはじめ多くの関係者が参列し、故人の冥福を祈りました。
 
 柴田作品を演じていないトップスターはいないといっていいほど宝塚になくてはならない作家・柴田氏の訃報にふれて、『宝塚イズム』では12月発売の次号で柴田氏の追悼を予定していますが、その前に“宝塚の至宝”柴田氏の足跡と思い出を振り返っておきたいと思います。

    *

 柴田氏が宝塚歌劇団に入団したのは1958年(昭和33年)。関西学院大学を卒業、上京して数年後のことだった。歌劇団入団の経緯を、ご本人に取材した話をもとに再現してみよう。お兄さんが日活の映画監督だった松尾昭典氏だったことに影響されて、自身も大学卒業後、東京で脚本家修業をしていたのだが、宝塚歌劇団が募集したテレビドラマの脚本コンクールに応募して入選、面接で宝塚に来たときにそのまま入団が決まり、演出助手として採用されたのだという。それまで宝塚歌劇は一度も観たことがなかったという。26歳のときだった。当時OTV(毎日放送と朝日放送の前身)に宝塚歌劇の番組枠があって、入団早々、そこで民話ドラマシリーズを担当することになり、同期の新人作曲家だった寺田瀧雄氏とともに担当、右も左もわからず、しかも生放送の番組で大変苦労したそうだが、このシリーズは寺田氏とのコンビ誕生のきっかけになったほか、その後の宝塚での脚本執筆に大きな糧になったという。
 柴田氏は1961年暮れに宝塚新芸劇場での花・月組合同公演の3本立ての一本だった民話歌劇『河童とあまっこ』でデビュー。翌年12月の星・雪組合同公演の一本、舞踊劇『狐大名』で大劇場デビューを果たした。若手のころは日本物の作家というイメージが強く、私が最初に柴田氏の作品にふれたのも71年の星組公演『ノバ・ボサ・ノバ』初演と一緒に上演された『いのちある限り』ではなかったかと思う。鳳蘭、安奈淳、大原ますみという星組ゴールデントリオといわれた3人が山本周五郎原作の人情物に挑戦した作品で、鳳の似合わない青天姿で伝説的な舞台だ。
『ノバ・ボサ・ノバ』の強烈な衝撃度に隠れて見過ごされがちだが、『いのちある限り』も故寺田瀧雄氏の名曲がちりばめられたさわやかな感動作だった。その後、同じ鳳蘭ほかの主演でバウホールで一度だけ再演されている。ほぼ同時期の『小さな花がひらいた』(花組、1971年)そして『たけくらべ』(雪組、1973年)と、このころの柴田作品は珠玉のような作品群が並ぶ。
 一期上の演出家・植田紳爾氏(年齢的には一つ下にあたる)が1974年に『ベルサイユのばら』を発表して、社会現象的なヒットを飛ばしたことが柴田氏に大きな刺激を与え、これまで宝塚では扱われなかった古代王朝や幕末を題材にした『あかねさす紫の花』(花組、1976年)や『星影の人』(雪組、1976年)を連続して発表。いずれも高い評価を得て、ポスト『ベルばら』に貢献、宝塚での存在を絶対的なものにした。
 1972年の月組公演『さらばマドレーヌ』から洋物にも積極的に取り組み、74年の星組公演『アルジェの男』に次いで発表した75年の雪組公演『フィレンツェに燃える』で芸術選奨文部大臣新人賞を受賞、演劇界での名声も確立された。生前、柴田氏から「僕の作品で再演するとしたら君は何を観たい?」と問われて真っ先にこの作品を挙げると、ご本人も「機会があったらやりたい」とおっしゃっていたのだが、なぜか再演されずじまいだったのが悔やまれる。
 柴田氏の作風は、人間ドラマとして緻密に計算され、ストーリーとしての破綻がなく、結末を観客にゆだねて、観終わった後に深い余韻が残るという作品が多いのが特徴。一方、オリジナルでは『バレンシアの熱い花』(月組、1976年)のように、トップスターの個性や組の構成を考慮して、各人各役を当て書きしながらドラマとしても大胆な構成で書き下ろすなど、宝塚歌劇の座付き作者としての職人技には他の追随を許さないものがあった。『バレンシアの熱い花』初演は榛名由梨、順みつき、瀬戸内美八が主演だったが、客席の熱気はいま以上の信じられないパワーがあって圧倒されたことをよく覚えている。
 1985年、月組の剣幸のトップ披露公演『ときめきの花の伝説』はスタンダールの『ヴァニナ・ヴァニニ』の舞台化だったが、このときの舞台稽古で「最近、視野が狭くなって」とおっしゃっていたのをよく覚えている。その後、病気が進行して失明に近い状態になって新作の執筆が困難になってしまわれたのは慙愧に堪えない。それでも、自作の再演時には、必ずそのときのトップスターの個性や組の構成に合わせて役を書き足したり場面を増やしたりといった補筆を欠かさず、稽古場には必ず顔を出し、舞台稽古や初日なども付き添いの方と一緒に必ず客席でごらんになっていた。
 つい最近も稽古場で、出演者が立ち位置を間違えると、すかさず柴田氏の叱咤の声が飛び、演出を担当していた中村一徳氏が「見えないというのは嘘で、実際は見えているのではないかと思った」というほど、稽古場での柴田氏の集中力は研ぎ澄まされていたという。
『アルジェの男』(2011年)が霧矢大夢時代の月組で再演されることが決まったとき、私が講師をしている毎日文化センターの「宝塚歌劇講座」にゲスト講師として『アルジェの男』の創作秘話について話していただいたことがある。詳しい内容は忘れてしまったのだが、女性が演じる男役とかは特に意識することなく、しっかりした内容があってドラマに納得性があれば、品格さえ保てばどんな題材でも宝塚で上演できる、という確固たるポリシーをもっておられたのはよく覚えている。
 柴田氏の作品は宝塚を離れても十分通用するが、宝塚以外の舞台からの誘いには一切応じることはなく、宝塚一筋に邁進してこられた。宝塚を観たことがなかった演劇青年が宝塚のどこにそれだけの魅力を感じ創作活動の源となったのか、そのあたりをきちんと聞いておくべきだったといまになって悔やまれてならない。宝塚らしさとか宝塚の限界という常識を取っ払って次々に新境地を開拓されたのは、宝塚を一度も観たことがなかった演劇青年がある意味宝塚を冷徹な目で見ていたからにほかならないと思います。コデルロス・ド・ラクロの『危険な関係』が『仮面のロマネスク』(雪組、1997年)という見事な宝塚の作品に生まれ変わったのも柴田氏ならではの手腕でしょう。

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 そんななかで私がいちばん好きな柴田作品はといわれれば、松あきら、順みつき時代の花組公演『エストレリータ』(1981年)を挙げます。2人がダブルトップといわれていた時代の書き下ろしで、ブラジルのリオデジャネイロを舞台にしたトライアングルラブ。どちらも際立つように書かれたその手腕が見事で、ほとほと感心した覚えがあります。この作品も再演されていません。このことは生前、柴田氏にもお伝えしたことがあって「へーえ」と意外そうな返事をされながらもまんざらでもない表情をされたのが、いまとなっては宝物になってしまいました。合掌。

 

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