最終回 ユーミンの生まれた街で――八王子と国道20号線/国道16号線

塚田修一(東京都市大学・大妻女子大学非常勤講師。共著に『アイドル論の教科書』『失われざる十年の記憶』(ともに青弓社)、『戦争社会学ブックガイド』(創元社)など)

八王子と国道20号線

 先頃上梓した『国道16号線スタディーズ』(青弓社、2018年)で扱いきれなかった国道16号線(以下、16号と略記)沿いの地域について気になる読者がいるかもしれない。そんな地域の一つ、東京都八王子市について、この場を借りて考察してみよう。
 八王子の性格にとってまずもって重要なのは、甲州街道、すなわち国道20号線(以下、20号と略記)である。
 甲州街道の宿場町として栄えた八王子は、交通の要衝でもあり、特に江戸時代後期から明治にかけては、上州や甲州からの生糸が、甲州街道を通って八王子に集まった。また、明治期の八王子は、西陣や桐生、福井などと並ぶほどの、国内でも有数の絹織物産地となる。その商品は「八王子織物」として全国に流通した(1)。

ユーミンと20号線

 この八王子で呉服商として財をなしたのが「荒井呉服店」だった(1912年創業)。アーティスト・松任谷由実の実家である。だから、ユーミンを規定しているのもやはり20号なのだ。彼女の楽曲がもつ「中産階級」性、大月隆寛の指摘を借りれば、「ただ単にカネを持っている、というのでなく、ある程度の「趣味」を支えうるだけのある程度のカネを持てる生活基盤を持ち、またそのカネを正しく「趣味」の分際を守ってゆく程度に使ってゆく、そんな生活上の価値観がぶれることのないある階級(2)」性は、この甲州街道=20号を通ってもたらされたものにほかならない。
「子供の時は自宅とお店がうなぎの寝床みたいに通りを二つ、表通りが甲州街道っていう国道20号線と、裏通りと、間が100メートル以上あるかしら。そこに細長くあって(3)」と語る、20号に面したこの家で、彼女の感受性は養われたという。
「家がイマジネーションかきたてられる場所でもあったっていうか。空想するのが好きな子だった。私のね、全国区の感じっていうのは、その頃の影響かもしれない。すごくたくさん大阪や京都の人の出入りがあったんで、関西弁とか関西ノリっていうのに慣れてたから(4)」
 また、デビュー後のユーミンは、都心からの帰り道にもやはり、都心と八王子を結ぶこの20号を通ることになる。ただし、彼女は20号の高速道路版である中央自動車道を使うことのほうが多かったのかもしれない。よく知られているように、都心から八王子に向かう中央自動車道の風景を歌ったのが「中央フリーウェイ」(『14番目の月』〔1976年〕収録)である。
 松任谷正隆からプロポーズを受けたのもやはり、20号の近くを走るクルマのなかだったようだ。
「〔松任谷正隆からの〕プロポーズも、クルマの中だった。送ってくれる途中でね。中央フリーウェイを八王子で出ちゃうとわりとすぐなんだけど、府中で出て、高幡不動のほうを通って帰ることがあったわけ。気にいってる景色があって、あちらに友達が住んでるということもあったしね。府中で出て、造成地みたいなところ通るときに彼がいったような覚えがあるなあ(5)」

八王子と16号

 だが、それでも気になるのは、八王子、そしてユーミンにおける16号の存在である。ユーミンの実家の「荒井呉服店」は、ちょうど20号と16号とが重なっている(だから、20号でもあり16号でもある)区間に面しているのである(写真1・2)。

写真1 八王子駅近くの国道20号線。この先から20号と16号が重なる(2018年4月26日撮影)
写真2 国道20号線/16号線に面した荒井呉服店(2018年4月26日撮影)

 明治期までの八王子で、現在の16号は産業道路だった。八王子に集まった生糸は、ここから現在の16号を通り、横浜へと運ばれ、諸外国へ輸出された。だからそこは「絹の道」や「日本のシルクロード」と呼ばれた。八王子市内の16号の近くには「絹の道資料館」がある。
 しかし、16号についてのユーミンの認識はそれとは異なるようだ。

ユーミンと16号線

 ユーミンが16号を歌った曲に、「哀しみのルート16」(『A GIRL IN SUMMER』〔2006年〕収録)がある。この曲について、ユーミン自身がこうコメントしている。
「ルート16、国道16号線というのは、横浜や横須賀と厚木、座間の基地を結ぶ米軍の物資を輸送する軍用道路でした。八王子の生まれで、基地も近かったし、私があの頃感じた独特のキッチュ感を、歌に織り込んで……。(略)思い浮かんだのは、国道を疾走する車。フロントガラスを叩きつける激しい雨、土砂降りの雨。昼間なのか、夜なのか、土砂降りの雨でわからない。時刻がわからない。それに前も、先も見えない。募る不安、焦燥感。今日限り、これっきり、という最後の別れのドライブ…………(6)」
 まず、「16号は軍用道路だった」という彼女の認識を確認しておきたい。『国道16号線スタディーズ』の第5章「「軍都」から「商業集積地」へ――国道十六号線と相模原」(塚田修一/後藤美緒/松下優一)でも記述したが、ベトナム戦争中は、アメリカ軍相模原補給廠で修理された戦車がこの道を通って横浜ノースドックへ運ばれた。「わりと湘南方面に友達がいろいろできて、海とか見に行ってたわけ。クルマ持ってる子とじゃないと付き合わなかったから(7)」というユーミンが、友達の車で送り迎えしてもらっていたとすれば、この「軍用道路」としての性格が濃かった時期の16号を通っていたはずである(9)。
 それにしても、「キッチュ」という評価が気になる。確認しておくが、ユーミンはアメリカ軍基地に対しては好意的である。少女時代に立川基地や横田基地に入り浸っていた思い出を語っているし(9)、立川基地を歌った楽曲として、「雨のステイション」(『COBALT HOUR』〔1975年〕収録)や「LOUNDRY――GATEの想い出」(『紅雀』〔1978年〕収録)があることもよく知られている。
 しかしユーミンは、それなりに身近であったはずの16号沿いの神奈川のアメリカ軍基地については歌わないのだ(10)。そしてそれらの基地を結ぶ16号を「キッチュ」と感じていたのである。実際、そんな16号を、ユーミンは「中央フリーウェイ」の実に30年後まで歌わなかった。
 ユーミンにとっての「アメリカ軍基地」とは、あくまで立川や横田のことなのだ。神奈川のアメリカ軍基地、そしてそれを結ぶ16号は、ユーミンにとっては、特別意識することなく、「素通り」するものとしてあったのだ。
 ――いや、こうしたユーミンの振る舞いは、多分、正しいのだ。この「意識されない」「素通りされる」というあり方こそ、本書で描き出した16号のあり方の一つ――本書第7章「不在の場所――春日部にみる「町」と「道」のつながり/つながらなさ」の鈴木智之の言葉を借り受ければ、「不在の場所」――にほかならないのだから。
 そして、「2000年代」以降に浮上する、16号のロードサイドのどこか殺伐とした空気感を「16号線的なるもの」と呼んでその背景を考察し、さらにはそこを生きるトラックドライバーについても考察した(第3章「幹線移動者たち――国道十六号線上のトラックドライバーと文化〔後藤美緒〕)にとってみれば、ユーミンが、2000年代になって「最後の別れのドライブ」の舞台として16号を歌ったこと、しかもその歌詞には「長距離便(トラック)」が歌い込まれていることに、ちょっとした必然性を感じてしまうのである。


(1)八王子市市史編集委員会編『新八王子市史 通史編5 近現代』上、八王子市、2016年、136―138ページ
(2)大月隆寛「みんな〈ユーミン〉になってしまった」『80年代の正体!――それはどんな時代だったのか ハッキリ言って「スカ」だっだ!』(別冊宝島)、JICC出版局、1990年、46ページ
(3)「永遠の不良少女と呼ばれたい」、角川書店編「月刊カドカワ」1993年1月号、角川書店、24ページ
(4)同記事23―24ページ
(5)松任谷由実『ルージュの伝言』(角川文庫)、角川書店、1984年、118―119ページ
(6)BARKS「最新作『A GIRL IN SUMMER』を松任谷由実本人が全曲解説!」(https://www.barks.jp/news/?id=1000023346)
(7)前掲『ルージュの伝言』55ページ
(8)多くの人は意識しないだろうが、「海を見ていた午後」(『MISSLIM』〔1974年〕収録)で歌われ、お洒落なデートスポットとなった横浜・山手(正確には根岸)のレストラン「ドルフィン」の近くには16号線が走っているのだ――八王子と「ドルフィン」を結ぶ道はこの16号線である。
(9)「八王子の家から、20分ぐらいで立川とか横田のベースへ行けたわけ。(略)だいたいはハーフの友達とか、みんな16ぐらいでもうクルマ持ってたから、そういう友達に迎えにきてもらうのよ。ベースに行くとPXでレコードも買えるのね。彼女たちはおしゃれとか男の子に夢中で、どうしてそんなにレコード買いあさるのよ、って変な眼で見てたけど、私はもうレコードに夢中。輸入盤は840円ぐらいだったんじゃないかな」(前掲『ルージュの伝言』42―43ページ)。
(10)岡崎武志は、「天気雨」(『14番目の月』〔1976年〕収録)に歌われる「白いハウス」は、米軍座間キャンプ内の米兵住宅のことではないかと推測している(岡崎武志『ここが私の東京』扶桑社、2016年)。ただし、それは16号線ではなく、「相模線にゆられて」ながめているものである。

 

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