須川亜紀子(横浜国立大学教員。専攻は文化研究。著書に『少女と魔法』〔NTT出版〕など)
世界コスプレサミットに見るコスプレ文化
2016年7月30日から8月7日まで、名古屋で世界コスプレサミットが開催された。今回で14回目を数えるこのイベントの目玉は、「世界コスプレチャンピオンシップ」である。過去最多の30の国と地域が参加したこのチャンピオンシップは、各国の優勝者を日本に招待して、厳しいルールのもとで文字どおり「チャンピオン」を決めるためのコンペティションだ。今年は『トリニティ・ブラッド』(吉田直、全12巻〔角川スニーカー文庫〕、角川書店、2001―04年)のコスプレパフォーマンスをしたインドネシアの2人組が優勝した。年々参加国が増加し、衣装の完成度やパフォーマンスのレベルも上がり、もはやすでに“パフォーミング・アーツ”の域である。特に今年からは背景に映像を使用することが許可され、舞台上の演出と映像演出の面で、素人(しろうと)とは思えない完成度が高いパフォーマンスが繰り広げられていた。
2分30秒以内と規定されたパフォーマンスを音楽と演技だけでおこなう組がいる一方、セリフを使用する組もあるのだが、流暢な日本語でおこなえる外国チームは、残念ながらまだ少なかった。母語でセリフを言い、英語・日本語の字幕が出ることが多いのだが、審査委員長で人気声優の古谷徹の総評の際のコメントが興味深かった。せっかく日本のコスプレをやっているのだから、日本語でセリフを言ってほしかった、という趣旨のコメントだったからだ。もちろん、これは「日本製のマンガ、アニメ、ゲーム、特撮のもの」だけという規定があるうえでの発言だが、コスプレとは、衣装、メイクなどのビジュアルや、静止した決めポーズだけでなく、パフォーマンスという要素も重要だということが、彼のコメントによって前景化したのだ。
外国のアニメ、漫画、ゲーム関連イベントでのコスプレパフォーマンス
世界中で楽しまれているコスプレだが、コスプレイヤーの消費や利用の仕方はさまざまである。世界コスプレサミットが、チャンピオンシップのようなコンペティションで規定しているような「日本の漫画、アニメ、ゲーム、特撮などのキャラクター」を模すコスプレが多い印象だが、どちらかというといまではコスプレとは、「2次元キャラクターを模すること」という広い解釈がなされている。その傾向は特に海外では強い。たとえば、日本アニメーション振興会主催で1992年から続いているアニメエキスポ(ロサンゼルス)は、その主催者によると「日本アニメの振興」がそもそもの目的だった。しかし、回を追うごとにその趣旨を離れ、現在では日本製作品のキャラクター以外にも『スター・ウォーズ』(監督:ジョージ・ルーカス、1977年―)、アメコミヒーロー、ディズニープリンセスなどのコスプレをする訪問者は非常に多い。
また、フランスで最大の日本文化オンリーのイベントであるジャパン・エキスポ(パリ郊外)でさえ、スパイダーマンや『スター・ウォーズ』シリーズのダース・ベイダー、『ハリー・ポッター』シリーズ(J・K・ローリング、1997年―)のキャラクターコスプレに出くわすことが多い。ましてや、日本メインや日本オンリーではない漫画、アニメ、ゲームに関する一般のイベントでは、ありとあらゆるキャラクターのコスプレが跋扈している。たとえば、イタリアのルッカコミックス&ゲームズというイベントは約50年の歴史があるが、ここでは日本製作品のキャラクターのコスプレのほうが圧倒的にマイノリティーである。影響力が大きいアメコミヒーローやシューティングゲームのミリタリーコスプレなどが目を引く。実際にイタリア軍隊が会場でリクルート活動をしているので、筆者などは本職なのかコスプレなのか区別ができなかったほどである。
パフォーマンス重視の海外コスプレコンペティション
コスプレでただ参加する訪問者は、それぞれコスプレを楽しんでいる。コスチュームや道具に凝っているし、カメラを向ければ足を止めてポーズをとってくれるのは、万国共通のサービス精神である。しかし、いざコンペティションとなった場合に、日本と海外でおそらく最も大きな違いは、海外のコンペティションではパフォーマンスを重視する、つまり観客をどれほど楽しませるかを重視したものになっていることだ。似ているというだけでなく、キャラクターをどう解釈し、どんな演技や演出を観客が望んでいるのか、またその期待の上をいくような、または期待をいい意味で裏切るような展開を短い時間にどれほど凝縮するか、が焦点になっているのだ。すると必然的に一瞬で観客を魅了する派手な衣装や大掛かりな演出をするパフォーマンスが選択されやすくなる。会話だけで話が進むような日常系学園ものの女子高生キャラなどは演出上「地味」だから、ファンタジー系で装備や衣装が華々しいゲームの世界観やキャラクターでのパフォーマンスが多くなる、というわけだ。観客の目も肥えているようで、つまらないパフォーマンスには反応が悪いが、すばらしい演出や衣装には、称賛の拍手を送る。この意味で、コスプレパフォーマンスは2.5次元舞台とかなり親和性が高い。
コスプレが提示する問題群
2.5次元舞台とコスプレパフォーマンス(特にコンペティションの場合)の親和性の高さは、キャラクター中心主義的な演出(つまり俳優の個性よりもキャラクターの存在性が前景化すること)と、観客と行為者とのインタラクションによって立ち上がる空間の共有で実現する。エリカ・フィッシャー=リヒテはこれを「ライブ(身体)の共存(1)」と呼んでいる。この点で、コスプレの考察には2.5次元舞台を論じた第2回「事例1 2.5次元ミュージカル/舞台――2次元と3次元での漂流」、第3回「事例2 作り手とファンの交差する視線の先――2.5次元舞台へ/からの欲望」で言及したキャラクター論と、第1回「2.5次元文化とは何か?」で論じたファン研究、パフォーマンス研究からのアプローチが必要になってくる。
「それでは、2.5次元舞台とコスプレは同じようにとらえていいのだろうか?」という疑問がわいてくるだろう。もちろん共通している部分もあるが、コスプレにはもう少し考えなければならない問題群がまとわりついている。特に、観客と行為者の場があらかじめ用意されたコンペティションのような固定された舞台ではない場で、素人がコスプレをパフォーマンスしている際に浮上する問題である。それは、イベント会場(多くは野外)のマクロな空間や、コスプレ撮影のミクロな空間だったりする。
その問題のなかでも注目したいのは、【1】アイデンティティーの問題、【2】セクシュアリティーの問題、【3】空間意識の問題、の3点である。【1】アイデンティティー形成の問題とは、誰がどんなキャラクターを選択しパフォームするか、またパフォーミングを通じて、選択したキャラクターと当事者のアイデンティティーとにはどのような関係があるか、ということである。【1】との関連で、【2】セクシュアリティーの問題とは、特に女性が「見られる客体」になる場合に、「性的対象」として見られることに関する問題である。これは海外の「コスプレは同意ではない(Cosplay is not consent.)運動」との関連で、身体、セクシュアリティー、ジェンダーの点で考察したい。最後に【3】空間意識は、コスプレイヤーの重要な目的の一つが写真を撮ることであることと関係がある。2次元の虚構キャラクターをコスプレによって3次元化したにもかかわらず、いや、かえって3次元化したからこそ、写真という2次元へと回帰する欲望とは何だろうか。そうした“2.5次元遊戯”(2次元と3次元のハイブリッドな浮遊行為)と呼べるような振る舞いに関して、一つの分析を試みる。
コスプレとアイデンティティーの諸問題
アニメキャラクターを演じることの心理学的研究は、特に日本のアニメが子どもだけでなく、思春期の若者の精神にも有益な影響があることがとりざたされた2000年代ごろから盛んである。テレビアニメーション(テレビカートゥーン)が登場し始めた1950年代後半ごろから、アニメーションが視聴者、特に子どもに与える影響は、主に「悪影響」として語られることが多かったが、西村則昭は、アニメキャラクターを演じることを通じたカウンセリングの有効性を論じている(2)。西村のクライアントの少女は、アニメ『スレイヤーズ』(1995―2005年)の強いヒロイン・リナ=インバースを演じ西村とロールプレイをすることで、自分をリナと置き換える作業をしている。また、スーパーヒーローを演じることによるカウンセリングをおこなっているローレンス・C・ルビンは、彼のクライアントであるクラスからいじめを受けているアメリカの男児がアニメ『NARUTO』(2002年―)のナルトを演じることによるセラピー的効果を論じている(3)。
こうした「プレイセラピー」は、メンタルの病気治療の一つとして用いられているが、患者でなくても、コスプレには類似の効果があるのではないかと筆者は仮説を立てている。なぜなら、筆者の(主に海外の非日本人の女性)コスプレイヤーへのインタビュー調査で、自分のジェンダーアイデンティティーやそれにともなうコンフリクトとコスプレには密接な関係性があるケースが頻出しているからである。
一例を挙げておこう。2013年、シンガポールのAFA(Anime Festival Asia)で5人のコスプレ女性に個別インタビューをおこなった。Aさん(当時20代前半、大学生)は、『銀魂』(漫画:空知英秋、〔ジャンプ・コミックス〕、集英社、2004年―、アニメ:テレビ東京系、2006―16年)の柳生九兵衛のコスプレをしていた。九兵衛とは、女性でありながら剣術の名門柳生家の跡取りになるため男性として育てられた剣術の達人である。幼いころ、親友の志村妙を悪人から守った際に右目を痛め、眼帯をしている。男嫌いで、妙に恋心を抱く九兵衞は、女性と男性の両方を兼ね備えたキャラクターである。Aさんによると、九兵衞は「まさに理想」だそうだ。なぜなら、「かっこいいけど、カワイイ」という自分がなりたい(けどなれない)キャラクターだからだという。ここまでなら、普通のワナビー(wanna be)と思われがちだが、Aさんは両親との確執を話してくれた。
「両親はコスプレには、あまり賛成していない。特に日本のアニメの女性キャラクターは肌の露出が多いから。でも、九兵衞はあまりセクシーでないし、肌を見せずにすむから、両親も文句は言わなかった」
Aさんの回答は、両親の期待が子どものジェンダー意識の形成に大きな影響を及ぼすこと、そして、男装のコスプレを選択したのは、コスプレを通じて男性になりたいのではなく、肌の露出を避けたいがためだったことを示唆している。同様のことは、ゲームキャラクターの男装をしていた女性のコスプレイヤーBさんからも聞けた。ジェンダーアイデンティティーとコスプレの問題は、このAさんとBさん以外にも、宗教・慣習や恋愛経験とも関係が深い。今回は字数の関係上すべての事例を紹介できないが、いずれ詳細な結果を発表するつもりである。
Cosplay is Not Consent(コスプレをしている=お触りOKではない)
コスプレとセクシュアリティーも、実は深刻な問題である。いまでこそ「クールジャパン」の代表例として国策の一つに利用されているアニメ(と漫画、ゲーム)だが、日本のアニメが欧米で認知され、揶揄ぎみに「ジャパニメーション」といわれた1980年代、日本製のテレビアニメーション=暴力とセックスの宝庫=子どもには有害、と理解されていた。特に、日本のアニメに子どもたちが熱狂していたフランスでは、『北斗の拳』(フジテレビ、1984―87年)などが、そのあまりにも暴力的な描写のために放送禁止になったこともあった。表面上は表現の過激さを理由にしているが、子どもや若者たちにあまりにも人気が沸騰したために、他国によるフランス文化侵略・侵食への不安もあった。そのトラウマは、コスプレを通じて再顕在化している。それが、Cosplay in Not Consent運動である(図4)。
Cosplay is Not Consent運動とは、特に女性コスプレイヤーが、性的対象として体を触られたり、露出が多いキャラクターに扮しているとセックスアピールだと理解され性的暴力の対象になりやすいことから欧米で始まったムーブメントである。2013年にシアトルで開催されたアニメイベントAki Conで、女性コスプレイヤーが男性DJにレイプされた事件も起きている(4)。事件にならないまでも、身体(胸、尻、脚、背中など)を見知らぬ男性に触られる被害があとをたたないことや、承諾なしで撮影された写真(多くはスカートのなかや胸の盗撮)をインターネットにアップして、コスプレイヤーのプライバシーをさらす事例も多数あり、図4のようなイラスト入り警告や、イベント会場での看板が設置されるようになった(5)。
女性コスプレイヤーのなかには、自発的にわいせつなコスプレ写真をネットにさらしたり、卑猥なポーズをしてカメラ小僧(カメこ)に積極的に写真を撮らせるケースもないわけではない。しかし、純粋に好きなキャラクターになりたい、自分に合ったキャラクターがそれだった、というような、性的欲望の対象になることが目的ではなく参加した女性コスプレイヤーたちにとっては迷惑な話である。日本のアニメ、漫画、ゲームの女性キャラクターのなかには、露出が多い服を着た設定の未成年の少女や、胸を強調した服を着た成人女性も多く、虚構を現実に移し替える際に、セクシュアリティーの問題を回避するのは容易ではない。
身体に対する規範と匿名の他者からの中傷
好きなキャラクターへの愛を表現したい、自分と似ているあのキャラクターになりたい――コスプレイヤーにとって動機はごく純粋である。しかし、同じコスプレイヤーや、それを関心をもって見るオーディエンスのなかには、非常に厳格な規範をもって中傷する者たちもいる。
「そのキャラクターをやる資格がない」
というものである。具体的には、太っている、胸が小さい、顔が醜い……など、演じる者の内面ではなく、物理的な外面に対する中傷である。「Facebook」で自分のコスプレ写真をアップしていたある女性は、“いいね!”をもらうことに自己顕示の欲求が満たされた半面、いいね!がこない不安にかられて、コスプレができなくなった。ある女性は、「ブス! デブ! お前が○○様(キャラの名前)やるな!」と匿名の中傷を書き込まれ、SNSを閉じざるをえなかった。再現性を重視するあまり他者の娯楽に不寛容な傾向は、どの国でもある。比較的肯定的にとらえられ、新しい潜在性がある共同体と認知される一方、2.5次元文化実践が抱える問題も看過してはならない(【3】空間意識については、第5回に続く)。
注
(1)エリカ・フィッシャー=リヒテ『パフォーマンスの美学』中島裕昭/平田栄一朗/寺尾格/三輪玲子/四ツ谷亮子/萩原健訳、論創社、2009年、44ページ
(2)西村則昭『アニメと思春期のこころ』創元社、2004年
(3)Lawrence C. Rubin, “Big Heroes on the Small Screen: Naruto and the Struggle Within,” in Lawrence C. Rubin ed., Popular Culture in Counseling, Psychotherapy, and Play-Based Interventions, Springer, 2008, pp. 227-242.
(4)“Aki-Con’s Sexual Assault Case,”(http://cosplayisnotconsent.tumblr.com/)[2016年10月10日アクセス]
(5)Andrea Romano, “Cosplay Is Not Consent: The People Fighting Sexual Harassment at Comic Con,”(http://mashable.com/2014/10/15/new-york-comic-con-harassment/#484vIUNskkqI)[2016年10月19日アクセス]
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