第6回 乃木坂46が紡ぐ「個人PV」という織物

香月孝史(ライター。著書に『「アイドル」の読み方』〔青弓社〕、アイドル関連の記事多数)

 乃木坂46結成後、初めて撮影されたミュージックビデオ(以下、MVと略記)は、「会いたかったかもしれない」という曲だった。AKB48のメジャーデビュー楽曲「会いたかった」をマイナーアレンジしたトリッキーな作品だが、そのMVは連載第1回で取り上げたように、「会いたかった」と同一のロケ地、ほぼ同一の構図やカット割りを採用し、「会いたかった」を手がけた久保茂昭が監督したものだ。楽曲自体と同様、「AKB48の公式ライバル」というコンセプトに奇妙なほどに寄り添ったこのMVは、まだほとんど何のパブリックイメージももたない乃木坂46の存在を、不穏なかたちで提示するものだった。その意味で、乃木坂46の映像作品は初手からある種のインパクトをもっていた。
 ただし、「会いたかったかもしれない」と同時期に、乃木坂46はすでに「AKB48のシャドーキャビネット」とは違う、独自のMVのあり方を模索している。「会いたかったかもしれない」はデビューシングルCD『ぐるぐるカーテン』に収録されているが、その表題曲「ぐるぐるカーテン」では、MVの監督に写真家の操上和美を招いた。あるいは同じく『ぐるぐるカーテン』収録の「乃木坂の詩」のMV監督には、振付師の南流石を招聘している。いずれもそれぞれの専門分野で長年地位を築いてきたスペシャリストではあれ、映像面に関しては未知数でもあり、実験的な人選だった。とはいえ、操上はモノクロを印象的に用いて和やかな教室風景に緊張感を描いてデビューシングルを彩り、また南は画面内に映る要素をタイトに絞って乃木坂46メンバーの身体の躍動をシンプルにMVとして構成してみせ、初期の乃木坂46を見事に彩っている。操上や南ら、やや変化球的な監督の人選には、すでに映像制作面に関して乃木坂46オリジナルの色を出そうとする試行がみえる。
 その試行の一方で『ぐるぐるカーテン』リリースに際しては、AKB48グループのMVを数多く手がけてきた丸山健志が監督した「失いたくないから」のMVも制作されている。丸山が描く美麗でスタイリッシュな絵面は、その後の乃木坂46のイメージで重要な鍵になっていくが、そうした歩みを経ていないこの時点ではまだ、久保が監督した「会いたかったかもしれない」MVと同じくAKB48のMV制作を経た人物による作品の一つだった。
 乃木坂46のMVの第一歩は、AKB48の影であることを意識させるような作品と、独自の道を模索するような実験とが絡み合ったものだった。やがてAKB48の影としてのイメージは後退していくが、乃木坂46がMVを通じて身につけていくオリジナルな特徴は、この段階ではまだ顔をみせていない。

2つの顔をもつ「君の名は希望」

 ところで、乃木坂46はそのキャリアの要所でしばしば「演技」への傾斜をうかがわせてきた。デビュー初年度から形式を変えながら継続的におこなっている舞台演劇公演は、その象徴となるものだ。そうした演技への傾斜は、やがてMVにも波及していく。デビュー翌年の2013年リリースの5枚目のシングル表題曲「君の名は希望」でその兆しは明確に現れる。
 2015年末の『NHK紅白歌合戦』初出場時にも披露され、現在グループを代表する楽曲になっている「君の名は希望」だが、制作されたMVは変則的なものだった。同曲のMV監督として起用されたのは映画監督の山下敦弘である。MV制作に際して山下は、メンバーを集めてとある映画のオーディションを開催した。このオーディションでは、山下が監督した過去の映画作品『リンダリンダリンダ』(2005年)のワンシーンの演技や、俳優の池松壮亮らもサポートキャストとして参加してのエチュードが実施されているが、山下はそのダイジェストをそのままMVに仕立てたのだ。
 より正確にいうならば、この映像作品の大部分では「君の名は希望」という楽曲そのものは鳴っていない。「君の名は希望」という曲の長さがおよそ5分半であるのに対し、このMVは約25分と大幅に長尺である。さらにいえば、このMVは楽曲そのものに素直に奉仕する映像というよりは、むしろメンバーが演技する風景を記録した映像のなかに、楽曲を見せるためのパートが挿入されているような趣が強い。映像中に歌唱シーンは存在するものの、レッスン着姿のメンバーがオーディション用の舞台装置をそのまま使い、オーディションの一連の流れのなかで歌唱シーンをパフォーマンスしているようにみえる。そして歌唱が終わると、それがオーディションの半ばであることが示唆され、再び楽曲が鳴らないオーディション風景が続いていく。
 ともすれば、グループや楽曲のイメージをわかりやすく伝える映像としては機能しづらいものとして、「君の名は希望」のMVは誕生した。それを補完するように、追って丸山健志によってダンスショットとリップシンクを基本とした別バージョンのMV「君の名は希望――DANCE&LIP ver」が制作され、そのビジュアルイメージはCMなどで印象的に用いられていく。結果、ベクトルがまるで異なる2パターンのMVをもつことになった同曲は、グループ全体の代表曲になるだけでなく、乃木坂46の視覚的なシンボルと演技への傾斜というグループの特色との双方を背負う作品になっていった。

演技の場としてのドラマ型MV

「君の名は希望」で変則的な表現をもって切り開かれたMVでの演技面の強調は、よりオーソドックスなドラマの多用として加速していった。「君の名は希望」に続く6枚目シングル表題曲「ガールズルール」、7枚目表題曲「バレッタ」、8枚目表題曲「気づいたら片想い」と、シングル表題曲のMVは演技パート主体のドラマタイプのものが続く。ときにドラマのセリフを聞かせることを優先し、「楽曲のバックグラウンドとしてのドラマ」であるよりも「ドラマのBGMとしての楽曲」にみえる瞬間さえ生まれるようなそのバランスは、かねてから演技をグループの特色に置いてきた乃木坂46の方針とも軌を一にするようにみえる。
 さらに9枚目シングル『夏のFree&Easy』に収録された「無口なライオン」、そして10枚目シングル『何度目の青空か?』収録の「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」では、楽曲の振り付けを用いたダンスショットやリップシンクを排して、ドラマだけでMVを構成してみせた。このようにして、ドラマ型のMVは乃木坂46の一つのトレードマークとして定着していく。
 もっとも、ジャンルを問わずMVというものにとって、ドラマ主体の構成という手法はよく用いられるものだ。グループアイドルシーン内に限っても、AKB48グループをはじめ、大なり小なりドラマ仕立ての要素を仕組むことは少なくない。楽曲に表現された世界観をさらに補強・拡張し、あるいは楽曲単体では描いていなかったようなものへと映像を介して飛躍していく、そのための標準的な手札の一つとしてドラマという方法はある。乃木坂46もまた同様に、楽曲リリースのたびにそうした映像による世界観の拡張がおこなわれているといえるだろう。
 しかし、乃木坂46が特異なのは、映像によって拡張される世界観の幅の途方もなさである。乃木坂46がシングルリリースごとに制作する映像作品は、MVだけではない。というより、映像作品の本数でいうならば、楽曲MVは制作されるもののうち、ほんの一部にすぎない。乃木坂46というプロジェクトがもつ驚異の一つは、絶えず生み出される膨大な映像作品群の数、そして射程の広がりにある。それを実現しているのが、「個人PV」という乃木坂46独特の試みである。

「個人PV」というコンテンツ

 リップシンクやダンスショットをなくし、完全に乃木坂46メンバー主演のドラマだけで構成された「無口なライオン」や「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」MVの監督は、湯浅弘章という人物である。現在では、湯浅は乃木坂46のドラマMVを担う重要なクリエーターとして認知されているが、彼が乃木坂46の映像制作で存在感を見せ始めたのは、楽曲のMVからではない。
 乃木坂46と湯浅との表立った接点は、「個人PV」と呼ばれる乃木坂46独自の試みからだった。そしてこの個人PVなるものこそ、乃木坂46の映像面を大きく特徴づけるコンテンツになっている。
 今日、アイドルグループに限らず音楽ソフトが販売される際、同一タイトルのシングルやアルバムについて複数のパターンのCDが売り出されることは珍しくない。それらはジャケットデザインや収録されるカップリング曲が異なるほか、しばしば付属する特典DVDの内容にもバリエーションをもたせることで、全タイプ購入を促すものになっている。乃木坂46もまた、1つのシングルリリースにつき4、5パターンの商品が発売され、収録曲やDVDの内容を違えている。形式上はAKB48グループなどのリリースを踏襲する、よくみられる商品展開といっていい。
 しかし、この特典DVDのなかで乃木坂46がおこなっている試みは、一種異様な広がりをもっている。その異様な広がりをもたらしているのが、ほかならぬ個人PVである。乃木坂46は通常、CDに付属するDVDに、シングル楽曲のMVとは別に多数の映像作品群を収録する。個人PVと呼ばれるその作品群は、その名のとおり乃木坂46メンバー個々人にスポットを当てるため、1作品に1人のメンバーをフィーチャーした、数分間の映像である。シングルが制作されるごとに、同時に稼働メンバー全員分の個人PVを制作してソフトに収録するため、シングルリリースにつき、ほぼ毎回30本以上の映像を撮っていることになる。
 ここで乃木坂46の個人PVが異様なのは、「個人」の「PV(プロモーションビデオ)」という名称でありながらも、必ずしも出演するメンバー個々をストレートに「紹介」するためのプロフィール映像になっているわけではないことだ。というより、ほとんどの場合、それらの映像は「乃木坂46のメンバーを紹介する」趣旨のVTRになっていない。
 この個人PVは、1つのシングルにつき制作される三十数本の作品すべてが、原則として別々の監督によって作られている。すなわち、シングルを制作するごとに楽曲MVの制作と並行して、30人以上のクリエーターを招いて1作品ずつ割り当て、映像作品を制作するという作業がおこなわれているのだ。各作品の監督にはすでにキャリアがある映画監督が招かれることもあれば、新進の若手映像作家、あるいは映像を専門としない他分野の作家・演出家なども招かれ、シングルリリースごとに集う作家の顔ぶれ自体が相当の広がりをもっている。

乃木坂46が生むショートフィルムの見本市

 そのようにして集められたクリエーターによって作られる個人PVは現在までに300作品をゆうに超える。そこでは乃木坂46のメンバーを紹介すること以上に、監督の作家性の発露のほうが優先されている感がある。ある監督は主演メンバーが「アイドル」であることをストレートに反映させてオリジナルソングとダンスを中心に構成する。またある監督は今日のアイドルコンテンツの一つの王道ともいえるドキュメンタリーを撮る。そして、ある監督は本格的な短篇ドラマを作ろうとする。あるいはロジックでは説明しがたい感覚的なイメージを投影した映像を作り、あるいはまた不条理な空気感のやりとりを描くことで作品を成立させようとする。「乃木坂46のコンテンツ」であることを意識してもしなくてもいいようなその自由度は、多彩な経歴をもったクリエーターたちによる、小さなショートフィルムフェスティバルを思わせる広がりをみせる。そして、この大掛かりなプロジェクトが1度や2度で終わる単発ものではなく、シングルリリースのたびに遂行されて歴史を紡ぐことで、「乃木坂46の個人PV」という企画自体が途方もない作業量と作品数を生み、CDの付録の範疇を超えた、グループが誇るコンテンツの柱の一つになっているのだ。
 たとえば乃木坂46の個人PVに頻出する一つのパターンに、その作品のためだけに制作されたオリジナル楽曲と振り付けを中心に構成された、音楽的要素が強い映像群がある。5枚目シングル『君の名は希望』リリースの折に制作された、伊藤万理華主演の個人PV「1カット」(監督:福島真希)はその代表だ。学校内の長い廊下を直進しながら歌い踊る伊藤を、文字どおり1カットの映像で撮りきった同作で表現された絶妙の緩さと軽快さは、グループの正式な楽曲ではない、あくまで小品であることを前提にした企画だから実現できたものだろう。現在では発表時に付されていたタイトルではなく作中の楽曲タイトル「まりっか’17」がこの個人PVの通称になり、付属DVDの範疇を超えて乃木坂46のワンマンライブでの「まりっか’17」披露も実現した。個人PVから発信された表現が、通常リリースされる「乃木坂46の楽曲」とは違う水準の世界観、面白みを保ちながらグループのコンテンツの幅を拡張していく瞬間である。
 こうした作品群にはまた、グループが正式に発表する楽曲では標準装備されている、ある拘束がない。すなわち、「秋元康作詞」である必要がないのだ。AKB48グループと同様、乃木坂46の楽曲は、作曲・編曲は多様なクリエーターが手がけているが、詞に関しては原則として秋元が紡ぐ言葉のリズムや語彙などの癖が必然になる。この連載では乃木坂46を読み解く際に秋元の着想をたびたび参照してきたが、言うまでもなく彼の作詞もそのアイデアのうちの重要部分である。それが一方では乃木坂46の世界観を構築し整えていくが、このグループの楽曲の印象を、ある一定の方向にとどめてしまうことも間違いない。そのくびきから外れる個人PVでは、詞に関しても実験的な要素が自然と生まれてくる。
 13枚目シングル『今、話したい誰かがいる』収録の永島聖羅の個人PV(監督:三枝友彦)は、彼女が様々に立てる物音を収集・サンプリングし、それらを採り入れたトラック上で永島が8小節のラップを披露するものになっている。このラップを作詞したのは、ヒップホップアイドルユニットとして活動するlyrical schoolのDJを担当し、デビュー時から同グループ楽曲の詞を手がけている岩渕竜也である。lyrical schoolのテイストに相通じる言葉選びや韻のありようは、乃木坂46関連楽曲でありながら、通常の乃木坂46楽曲からは生まれえない彩りを生んでいる。クリエーターの自由度を高く設定した個人PVは、グループと楽曲との関係性さえひそかに変えていく。

「内から」の象徴としての個人PV

 楽曲MVからの流れに話を戻せば、「無口なライオン」「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」といった楽曲のMVを手がけた湯浅弘章は、その前段階で乃木坂46の個人PVに監督として参加し、そこでドラマ仕立ての作品を武器に強い個性を放っていた。先に、デビュー間もない頃の乃木坂46のMV監督の傾向として、操上和美や南流石といった他ジャンルのスペシャリストを招聘していることにふれたが、こうした初期の人選は秋元によるものだった。一方で湯浅や、「ガールズルール」でやはりドラマ型のMVを手がけた柳沢翔などは、その後乃木坂46が継続してきた個人PVという企画によってグループ内で実績を積んできたクリエーターである。個人PVの映像クリエーターは、乃木坂46運営委員会委員長の今野義雄や、映像クリエーター金森孝宏らを中心に選出されていく。つまりここでは、MV監督というグループのビジュアルイメージの鍵を握る人選が、秋元による「上から」の提案ではなく、乃木坂46が育んできたものを「内から」の提案が採用されている。
 個人PVでの手際をもとに楽曲MVを手がけるようになった湯浅は、今度はMVから個人PVへという逆ベクトルでのリンクを構想する。湯浅が監督した「無口なライオン」のMVは、当時グループのセンターポジションに就いていた西野七瀬を主人公として、彼女の転校による友人との別れを描いたドラマだった。湯浅は続く10枚目シングルの個人PVで西野の作品を担当する。ここで湯浅は、個人PVという企画を利用して「無口なライオン」で描かれた世界のその後、すなわち転校先での西野の姿を描いた続篇ドラマ「天体望遠鏡」を制作した。この作品で西野は転校による別れを経て、転入先で頼もしい先輩として下級生を見守るさまを演じ、MVから個人PVへの推移とともに、彼女が演じた人物が時の経過とともに成長していく様子もみせている。これは個人PVが楽曲MVの世界観を補強していく例としてわかりやすい。
「無口なライオン」シリーズの場合、明確なフィクションとしてのドラマだが、MVと個人PVとの世界観の連携は、よりドキュメンタリー的なレベルでも生じている。「無口なライオン」で主役を演じた西野が、乃木坂46というグループ全体の中心的アイコンとして育っていく起点としてときおりあげられるのが、5枚目シングル『君の名は希望』の時期である。といっても、西野はこのときまだセンターを経験したことはなく、彼女が初めてセンターに立つのもそこから1年後、8枚目シングルでの話だ。ただし、このときの個人PVではその前兆になるような種が確実にまかれていた。
 5枚目表題曲「君の名は希望」MVは、先述したように山下敦弘監督によるオーディション風景を切り取った異色の作品だった。このとき、実は西野の個人PVも同じオーディション会場で撮影されていた。というのは、この5枚目シングルの西野の個人PVは、同オーディションで監督との距離をなかなか縮められない彼女の姿を観察したドキュメンタリー作品(監督:守屋文雄)だったのだ。このとき、西野の個人PVはシングル楽曲と強くリンクし、また乃木坂46という組織の物語を推進するための補足的な役割を与えられている。個人PVというコンテンツは、単なるCD購入者への付録でもなく、楽曲やグループの文脈と独立した自由な映像企画というだけでもない。いくつもの文脈と有機的に関わり合いながら、乃木坂46というエンターテインメントの総体を豊かにしていく。

乃木坂46が紡ぐ膨大な網の目

 11枚目と12枚目シングルリリースに際して、個人PVはその趣向をやや変えた。それは、1つの映像作品につき1人をフィーチャーするのではなく、メンバー2人1組をペアにして主演に据える、「ペアPV」という企画だった。このペアPVで湯浅は、「無口なライオン」シリーズをさらに発展させる。「無口なライオン」で西野との別れを印象的に演じたのが若月佑美だったが、11枚目シングルで西野と若月のペアPVを担当した湯浅は、前作の西野の個人PV「天体望遠鏡」をさらに展開させ、2人の再会をほのめかす続々篇を完成させた。若月にスポットを当てながら、前作の西野篇のストーリーをややなぞるように物語を紡ぐことで、MVと個人PVとの関係性だけでなく、個人PV/ペアPV同士にも縦軸を通してみせた。
 今回は、一つの典型として湯浅弘章という監督、そして彼が制作するドラマ型の作品をたどりながらみてきたが、こうした発展は2012年から現在にいたる乃木坂46の個人PVの歴史のなかで、それぞれの文脈や手法をもって随所に忍び込んでいる。
 たとえば10枚目シングルの個人PVには、個人PV同士が姉妹篇になるような作品も存在する。生田絵梨花、松村沙友理それぞれの個人PVには互いが登場し、2人で「からあげ姉妹」と名づけられたユニットを結成した。両者の個人PVでは、それぞれが民家でからあげを作って食すまでを特有のテンポで映像化しながら、双方共通のパートとして生田と松村は「からあげ姉妹」のテーマ曲となるオリジナルソングを歌い踊った。11枚目シングルのペアPV企画ではその生田と松村が再結成し、「からあげ姉妹」の続篇を完成させて個人PVとペアPVを橋渡しする。さらに続く12枚目シングルでは、あくまで個人PV/ペアPVという特典企画だったこのコンビが、正式に乃木坂46楽曲のユニットに「昇格」し、「無表情」というタイトルの独立した楽曲が誕生、そのMVも制作される。個人PVから派生した映像企画が乃木坂46名義の楽曲へ、そして1本のMVへと拡大していったのだ。
 そのコンビのうちの1人、生田絵梨花は13枚目シングルの制作で、湯浅が監督する個人PVの主演に招かれる。湯浅が乃木坂46の歩みとともに積み重ねてきたドラマ作品の最新作となった「赤い傘のひと」は、団地に住む人々それぞれが、自身が生きるライフコースの現在地に迷いを抱えるさまを描いている。ここでは配信方法として、グループの公式「YouTube」に公開された予告篇をこの本篇に先立つ「前篇」と位置づけ、インターネット上の動画とソフトの双方で一作品になるようなアイデアを採用した。こうした遊びもまた、乃木坂46の映像作品の広がりを半歩推し進めるものにみえる。生田の視点を中心にしながらも、ほかの性別や年代の人々が抱える人生の困難も同等に垣間見せるような「赤い傘のひと」の仕上がりは、乃木坂46での湯浅作品の円熟をもうかがわせる。乃木坂46が積み重ねる映像作品での試みは、グループが見いだしたクリエーターとともに成熟期を迎えつつある。
 2016年3月現在までに制作されてきた乃木坂46の個人PVとペアPVの総数は、先にもふれたように300作をゆうに超え、それらは縦軸と横軸を錯綜させながら文脈を無数に織り込んでいる。この文章でたどってみせた映像コンテンツ同士の結び合いも、その膨大な織り込みのなかから恣意的に選んだいくつかの線でしかない。数カ月ごとにコンスタントにリリース時期がやってくる速いスパンのなかで、毎回全メンバーの個人PVを制作するという途方もない作業を積み重ねた結果、乃木坂46の映像コンテンツの水面下には、その見かけの何乗分もの網の目が仕組まれている。

 

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