第2回 爆笑問題と漫才

ラリー遠田(ライター、お笑い評論家。著書に『逆襲する山里亮太』〔双葉社〕など多数)

コントから漫才へ

 爆笑問題は、現役のテレビタレントでありながら、世の中の人に「漫才師」としても認知されている。テレビの世界でこのレベルの人気と知名度を得ている芸人のなかでは、かなり珍しい部類に入る。
 例えば、2017年の現時点で、ビートたけしや松本人志を漫才師だと思っている人がどれだけいるだろうか。特に10代から20代の若い世代から見れば、たけしや松本は「テレビに出ている人」以外の何者でもないのであり、漫才を本業とする人だという意識はほとんどないはずだ。テレビでそれなりの地位を築いた芸人のほとんどは、徐々に漫才から離れていってしまう。
 だが、爆笑問題は違った。年末の『爆笑問題の検索ちゃん ネタ祭りスペシャル』(テレビ朝日、2006年―)、正月の『爆笑ヒットパレード』(フジテレビ、1968年―)など、彼らは折に触れてテレビで漫才を演じている。また、事務所主催で隔月ペースでおこなっている「タイタンライブ」でも、彼らは新ネタの漫才を毎回披露している。さらにここ数年は、1年間の時事ネタを題材にした長尺の漫才を作り、それをまとめた『爆笑問題のツーショット』(Contents League ほか、2006年―)というDVD作品までリリースしている。これだけの揺るぎない経歴と実績があるのだから、多くの人が爆笑問題を漫才師として認識しているのは当然のことだ。
 ところが、本人たちの発言をたどると、意外にも彼ら自身は漫才に対してそれほど強いこだわりや高いプロ意識を持っているわけではないように見える。それどころか、「(漫才を選んだのは)安易な道を選んだだけ」「(自分たちがやっているのは)漫才ではないと思っている」「漫才を作るのは本当に憂鬱で面倒くさい」など、むしろ控えめで遠慮がちな発言が目立つ。これだけ長年にわたって漫才をやり続けてきた実績があるにもかかわらず、「自分たちが真の漫才師である」というような気負いがほとんど感じられないのだ。
 爆笑問題がお笑いを始める大きなきっかけの一つは、太田光が漫才ブームの時代にツービートの漫才を見て衝撃を受けたことだった。ところが、太田も田中も、漫才という芸能そのものには意外と関心が薄いように見える。いわば、彼らにとって漫才とは、付き合いは深いしなじみもあるが、あんまり打ち解けてはいない腐れ縁の友人のようなものなのではないか。好きと言えば好きだが、心から愛しているというほどでもない、というぐらいの微妙な関係。そんな漫才とは彼らにとってどういうものなのか。あらためて考えてみることにしたい。
 まず大前提として押さえておきたいのは、彼らは最初の段階では漫才ではなくコントを専門にしていた、ということだ。デビューのきっかけとなったラ・ママ新人コント大会でも披露していたのはコントだった。演劇もかじっていた太田にとって、コントのほうがなじみ深かったのだろう。
 その後、太田が初めて作った漫才が渡辺正行とラサール石井に絶賛されると、彼らは少しずつ漫才に軸足を移していくことになった。そのネタとは「もしも、冬が寒くなってくるんじゃなくて、臭くなってくるとしたら」という設定の漫才だ。

 11月くらいになると「あぁ、今年も臭くなってきたね」なんて会話があって、真冬には「臭いから早くコタツに入んな!」なんていうね。さらに、「もしも夏になると痛くなるとしたら」かなんか言って、四季全部をやったんだと思う。(太田光『今日も猫背で考え中』〔講談社α文庫〕、講談社、2016年)

 私自身も、初めて見た爆笑問題の漫才はこの手のネタだったと記憶している。1993年に始まったネタ番組『GAHAHAキング』(テレビ朝日、1993―94年)では、彼らはこのようなバカバカしい妄想に近い空想を膨らませて、それをどこまでも果てしなく展開させていくような漫才を披露していた。
 その漫才を見るのは、一度はまったら抜け出せなくなるような強烈な体験だった。1980年の漫才ブームを直接知らない世代の私にとって、このスピードで、このセンスで、この勢いで繰り出される漫才を味わうのは初めてのことであり、それだけ衝撃も大きかった。爆笑問題は圧倒的な実力を見せつけて、この番組の初代チャンピオンとなった。
 しかし、彼らはいつしかこの形式の漫才を捨ててしまった。彼らは「空想漫才」から「時事ネタ漫才」へと大きく舵を切った。そして、時事ネタ漫才だけを専門にするようになっていった。

「時事ネタ漫才」の功罪

 なぜ時事ネタ漫才をやり始めたのか。私が本人たちにインタビューする機会を得たときにそのことを問いただしてみると、太田は「それはね、サボりだしたんだよね」と笑った(ラリー遠田責任編集『コメ旬――全方位型お笑いマガジン Vol.001』〔キネマ旬報ムック〕、キネマ旬報社、2011年)。
 発想を広げていく「空想漫才」のほうが型にはまったときの爆発力はある。しかし、長きにわたって新ネタを作り続けなければいけないという状況のなかで、新しいアイデアを出すのがどんどん難しくなってきたのだという。
 そこで彼らが選んだのが、時事ネタを題材にするという手法だった。その時点での最新のニュースを取り上げていけば、素材は毎回変わることになり、少なくともネタ切れを起こす心配はない。時事ネタで漫才を作ることには、それ以外にもさまざまなメリットがあった。
 まず、観客が笑いやすい、ということだ。時事ネタ以外の漫才では、漫才師が会話のなかで一つの話題を提示して、それをうまく展開させていかなければならない。その話に観客を巻き込むためには、高いレベルの話術と演技力が求められる。それに比べると、時事ネタ漫才の場合、誰もが知っている事件や出来事をネタにしているので、話にスムーズに入っていくことができる。ニュースそのものを一から説明する必要もないので、そのぶんだけ時間と手間が省ける。
 さらに言えば、時事ネタは国民全員が共有している巨大な「内輪ネタ」のようなものだ。「内輪ネタが一番ウケる」と太田は言う(オルタロープ編著『splash!!――The Map For Hungry People volume 04』双葉社、2012年)。
 どんな人でも、テレビでプロの芸人が話す面白い話よりも、身近な存在である友人や家族の話のほうが面白く感じられるものだ。内輪ネタのほうが共感しやすいし、笑いやすい。人間はそういうふうにできている。時事ネタとは、最も射程が広い「内輪ネタ」のようなものだ。年齢や性別を問わず、幅広い人々を相手にすることができる。
 また、太田にとって、時事ネタを題材にしてネタを作るほうが作業としても圧倒的に楽なのだという。すでに起こった出来事や実際に存在する人物を素材にして、ギャグや言葉遊びを考えるというのは、「空想漫才」系のネタをゼロから生み出すのに比べると苦労が少ない。
 これだけを聞くと、時事ネタとは笑いをとるための万能薬のようでもあり、若手の漫才師もみんなこれをやるようにすればいいのに、と思う人もいるかもしれない。ところが実際には、数千組以上も存在する若手漫才師のなかで時事ネタを専門にしている人は私が知るかぎりほとんどいない。なぜなら、時事ネタ漫才という形式自体が、爆笑問題によってやり尽くされてしまったからだ。
 爆笑問題が長年、良質な時事ネタ漫才を作り続けて、時事ネタ漫才師としての地位を確立した結果、彼らが歩いたあとは草一本生えない焼け野原になってしまった。時事ネタ漫才を作るためには、社会問題や芸能情報に関する豊富な知識が必要であるうえに、どのネタをどういうふうに取り上げていくのか、ネタに落とし込むためのセンスが問われる。いまの時代、SNSなどで時事ネタを題材にしてちょっと気がきいた冗談を書き込むぐらいのことは誰でもやっている。2016年にゲスの極み乙女。というバンドのボーカリストの不倫騒動が話題になったとき、それを題材に数多くの人がうまいことを言おうとするという現象が起こったのは記憶に新しいところだ。漫才はある程度の覚悟を持った人間しか始めることができないが、時事ネタは誰でも気軽に手が出せる。だからこそ、素人が安易に手を出してやけどをしやすい分野でもある。爆笑問題があまりにもメジャーになりすぎたために、若手の漫才師であってもおいそれとは手出しできないものになっている。実際、時事ネタ漫才をやる若手漫才師が現れることはたまにあるが、それが爆笑問題の地位を脅かすまでには至っていない。
 爆笑問題が「空想漫才」の制作に行き詰まって時事ネタ漫才を選んだこと自体は、たまたまだったのかもしれない。だが、そのことは彼らにとって思わぬ副産物をたくさんもたらすことになった。その一つが「爆笑問題は社会風刺を得意とする芸人である」というイメージが定着したことだろう。
 このイメージが広まった主な要因は、1997年に出版された『爆笑問題の日本原論』(爆笑問題、宝島社)がベストセラーになったことだ。この本は「活字で読む漫才」をコンセプトにして書かれている。この時期から徐々に、爆笑問題は時事ネタをやる漫才師だというイメージが広まっていき、良識ある多くの大人たちが彼らのことを高く評価するようになってきた。
 なぜなら、そういう人々の間では「社会風刺をやる芸人こそが上等である」という意識があるからだ。政治や経済にまつわる話題を扱い、政治家を堂々とちゃかすようなネタをやっている爆笑問題は、それだけで称賛されるべき存在だというのだ。
 ただ、本人たちには社会風刺をしているという意識はあまりないようだ。漫才を通して社会に対して何か具体的なメッセージを送っているわけではないし、伝えたいことがあるわけでもない。笑わせるためにやっているだけから、見ている人が笑ってくれればそれでいい。彼らはさまざまなところで何度も何度もこのような趣旨の話を繰り返している。
 太田のそのようなスタンスを象徴していたのが、茂木健一郎の「日本の芸人はオワコン」という発言に対する彼の反応である。脳科学者の茂木は、自身の「ツイッター」で「日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止〔原文のママ:引用者注〕し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無。後者が支配する地上波テレビはオワコン」と書き込んだ(2017年2月25日)。
 これに対して、一般人だけでなく芸能界やお笑い界からもさまざまな意見が飛び交った。太田は自身のラジオ番組で、茂木の発言に対して直接の言及はせずにそれをほのめかしながら、権力者を批評する笑いこそが優れている、というような茂木のお笑い観に異議を表明していた。
 政治家を直接批判するような芸をやっている芸人は地下にいくらでもいる。日本の芸人がやっていることはすべてが世相を反映しているし、社会批判になっている。それでみんなが笑うのは、日本の客のレベルが高いからだ。アメリカのように直接的なわかりやすい政治風刺ネタみたいなダサいことをやっているのは、日本では自分たちぐらいのものだ。太田はそのような趣旨のことを語った。
 この発言には、太田の芸人観・お笑い観がよく表れていた。つまり、太田自身は、社会風刺をやっているから自分たちの漫才は優れている、などとはみじんも思っていない。それどころか、風刺をしているという意識もない。
 太田は言う。自分たちがやっているのは風刺ではなくただの陰口だと。題材として時事ネタを扱っているだけで、世相を斬る、といった意識は全くない。
 さらに言えば、太田はこの「風刺」と「陰口」の区別に関して人一倍敏感でもある。つまり、単に風刺をやっていないだけでなく、ときとして風刺っぽくなってしまうことがあるので、そうならないように気をつけてさえいる、というのだ。立川談志との対談のなかで太田はこう述べている。

 自分がネタつくる時、気がつかないうちに、変に反体制みたいな意識になっちゃってる時があります。ハッと気づいて、笑わせることだけが目的なのに、何やってるんだろうと思いますね。そういう方向にはまりこまないよう、注意はしてます。(爆笑問題『対談の七人』新潮社、2000年)

 爆笑問題は時事ネタ漫才をやっているが、社会風刺をしているわけではない。実はその点には強いこだわりがある。
 なぜ彼らはそんなにも風刺を避けようとするのか。おそらく、彼らのなかに「風刺」は笑いをとるための妨げになる、という意識があるのではないだろうか。一般に、日本人は公の場で政治的な主張をしたり、議論を交わしたりすることを好まない。露骨に政治的なメッセージが含まれるようなネタをやっても、観客の多くはそれを素直に楽しめない。むしろ、気軽に笑うのをじゃまする不純物が交じっているというふうに感じる。そのことがわかっているからこそ、爆笑問題は風刺の要素をネタのなかに極力取り入れないようにしているのではないか。

爆笑問題にとっての「漫才」とは?

 爆笑問題の漫才についてもう一つ特筆すべき点は、彼ら自身が「漫才」をやっているという意識が薄いということだ。作家の小林信彦との対談で、爆笑問題がやっているのは本当に漫才なのかとたずねられて、太田は「僕は漫才だとは思ってないです」ときっぱり答えている(前掲『対談の七人』)。
 太田は学生時代からエンターテインメントの世界全般に興味があり、お笑いというジャンルに属するようなテレビ番組もたくさん見ていた。ただ、ビートたけしの登場以前に彼が夢中になっていたのは、三波伸介でありコント55号だった。いずれもテレビで活躍した芸人ではあるが漫才を専門にしていない。横山やすし・西川きよし、中田ダイマル・ラケットが演じていたような伝統的な漫才にはそれほど興味を持っていなかった。
 彼は漫才ブームの時代に登場したツービートの漫才に衝撃を受けた。しかし、そのときに興味を持った対象は「ビートたけし」という個人であり、「漫才」という形式そのものではなかった。太田は「漫才ブームこそ偉大なる素人芸であり、爆笑問題はそういう人たちに憧れてこの世界を目指している」と語っている(前掲『今日も猫背で考え中』)。日々舞台に立ち、少しずつネタを磨いて時間をかけて完成させていくのが本当の「漫才」なのだとしたら、漫才ブームでツービートがやっていたのは「漫才」ではない、と太田は考えている。
 実は、芸人たちはこの種の区別にとても敏感である。ビートたけしと松本人志の対談でも同じような話題が出ていて、自分たちがやっているのは伝統的な意味での漫才ではないのかもしれない、という趣旨の発言をそれぞれがしている。

 松本 やすし師匠には、あんなもの漫才じゃないって言われました(笑)。
たけし たしかにやす・きよがやっている漫才を漫才というなら他はみんな漫才じゃないのは当たり前だよな。(北野武編『コマネチ!――ビートたけし全記録』〔新潮文庫〕、新潮社、1999年)

 漫才ブーム以前の漫才は、太田にとって縁がないものだった。太田の漫才は伝統を背負っていない。歴史から分断されたところにある新しい形のものだ。漫才ブームで出てきた漫才師たちの芸が本流の「玄人芸」としての漫才の対極にある「素人芸」だとしたら、爆笑問題がやっているのはそれをさらに見よう見まねで模倣した究極の素人芸である。
 ただ、だからといって爆笑問題の漫才が面白くないとか技術的にへただというわけではない。彼らの漫才はツービートと比較されることが多い。実際、太田はたけしの芸に大きな影響を受けているし、それを感じさせる部分も多い。しかし、漫才の形式は両者の間で異なっている。ツービートの漫才では、たけしが一方的にまくしたてるように話を進めていく。自分で話題を提示して、自分でオチまで持っていく。相方のビートきよしは、その間隙を縫って合いの手のようにツッコミを入れていくだけだ。
 一方、爆笑問題の場合、ツッコミ担当の田中裕二が重要な役割を果たしている。彼らの漫才では、太田はたけしほど一方的に会話の主導権を握ってはいない。むしろ、次から次へと話題を提示して会話を進めていくのは田中のほうだ。この点がツービートとは決定的に違う。
 たけしや島田紳助は、キャリアのある時期から漫才を捨てて単独で活動するようになった。それは、彼らの話芸が1人でも成立するものだったからだ。しかし、太田は彼らほどソロ活動に積極的ではない。爆笑問題はあくまでもコンビ単位での活動をベースにしている。それは、漫才の形式を見ていても明らかだ。
 爆笑問題の漫才では、田中が早いテンポで話を進めながら、太田がボケるとすかさずツッコミも入れていく。ナイツが爆笑問題のラジオに出演した際には、そうやって田中が「進行」と「ツッコミ」の両方をハイスピードでこなしていくというのが、技術的にはとてつもなく難しいことなのだと語っていた。もともとアナウンサー志望だっただけあって田中は滑舌がよく、早口になっても言葉が聞き取りづらくならない。それが漫才をやるうえで生かされているのだろう。
 田中はもともとツッコミ気質の人間ではない。他人の細かいところによく気がついて、それを指摘したがるようなところはない。むしろ、そういう意味では太田のほうが本質的にはツッコミ体質だと言えるかもしれない。太田はいろいろなことに引っかかりを感じる神経質なところがある。テレビでもラジオでも、日常的に田中のことを罵倒し続けて、田中の悪いところをねちねちと指摘していく。
 ツッコミ体質ではない田中のツッコミフレーズは、ごく単純でストレートなものが多い。最近、若手の間ではやっている「例えツッコミ」のような、ひとひねりを加えたツッコミには縁がない。また、漫才を作る際には太田が田中のツッコミの言葉の一言一句を厳しく指定するのだという。ボケを生かすためのツッコミの言葉の基準は、ネタ作りを主に担当する太田の頭の中にあるからだ。
 いわば、田中のツッコミとは、太田のボケを引き立たせるための脇役でしかない。ツッコミの自己主張が強くない。しかし、だからこそ重要なのだ。時には小学生レベルのバカバカしい下ネタやダジャレも交じっている太田のボケに対して、大げさに声を荒らげて逐一ツッコんでいけるのは田中しかいない。実際、バラエティー番組などでは、田中がいない場面で太田が暴走して羽目をはずしすぎて、共演している芸人たちがツッコむ気力も失ってあきれていることがよくある。太田のボケにどこまでも食らいついていけるのは、田中がそれだけピュアでまっすぐな人間だからだろう。
 結局のところ、彼らが漫才という形式にあまり固執していないのは、彼らがやることのすべてがある意味では「漫才」だと言えるからではないか。バラエティー番組でも雑誌の連載コラムでも、太田がくだらないことを言って田中がそれをたしなめるようにツッコミを入れる、という関係さえあれば、それは爆笑問題にとっての漫才となる。漫才を爆笑問題がやっているのではなく、爆笑問題のやっていることのすべてがそもそも漫才なのだ。
 かつて横山やすしは、若手時代のダウンタウンの漫才を見て、「そんなもん漫才じゃない!」「チンピラの立ち話じゃ!」と激怒したという。ダウンタウンの漫才が「チンピラの立ち話」だとしたら、爆笑問題がやっているのは「大学生の立ち話」ではないか。2人がただその場にいてしゃべっていれば、それが漫才になる。その意味では、爆笑問題は紛れもない一流の漫才師なのだ。

参考文献
太田光『天下御免の向こう見ず』(幻冬舎文庫)、幻冬舎、2004年
太田光『爆笑問題太田光自伝』(小学館文庫)、小学館、2001年
太田光文、田中裕二紙粘土『爆笑問題集』(Tokyo news mook)、東京ニュース通信社、2008年
松本人志『遺書』朝日新聞社、1994年

 

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